正しく、深く、豊かに『礼拝の生活』再考その107
1972年11月19日
『礼拝の生活』107号
「豊かさを忘れずに」
前号では、聖書がいかに長い期間に渡って書かれてきたかの事実とから、神がご自身のみ旨を私たちに啓示されるにあたってどれ程の忍耐を払われているかを知りました。
それですから、私たちは、ゆっくり、しかし死んだようにでも、いねむりしたようにでもなく、生き生きと主なる神のみ旨を求め従い続けるのです。聖書がどのように書かれたのかの事実は、聖書をどのように読むべきか、また聖書をどのように生きるべきかを指し示してくれます。
聖書について考えるとき、さらに私たちに強く迫ってくるのは、聖書が持つ多様性と豊かな内容を含む事実です。
旧約聖書も新約聖書も、その記述の対象の雄大さは、実に圧倒的です。「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1章1節)との書き出しから、「これらのことをあかしする方がこう言われる。『しかり、わたしはすぐに来る。』アーメン。主イエスよ、来てください。主イエスの恵みがすべての者とともにあるよう。アーメン。」(黙示録22章20節)との最後のことばに至るまで、聖書は、実に、天地の創造から新天新地の創造まで万物を対象に含むのです。その中心に、「神は人をご自身のかたちとして創造された」(創世記1章27節)と言われる人の歩みが描かれています。
そうです。人のすべてが描かれています。神によって喜ばれる存在として創造された人間本来の豊かさ。神の愛を否定して、あるべからざる姿となった人のみじめさ。みじめな人に対する、神の救いのみわざ・神の驚くべきドラマ、これが聖書の世界です。
私たちの信仰は、聖書に根ざして実に豊かな内容を持つ本来の人の豊かさの回復です。
★50数年、聖書を読み、従い、伝え続ける中で、念頭にあった基本方針は、
①聖書を正しく、
②聖書を深く、
③聖書を豊かに、
この順番でその総合でした。
またヨハネ10章10節後半も、いつも主イエスにある命の豊かさを銘記してきました。
「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」