『ヨナは、主のことばのとおりに』

2012年9月23日
聖望キリスト教会 主日礼拝
 ヨナ書3章3−9節 
『ヨナは、主のことばのとおりに』

御父、御子、御霊、生ける三位一体なる神の御名を讃美します。
[1]序

(1)9月16日(日)と17日(月)、第二回聖望キリスト教会・宇都宮キリスト集会合同修養会を、日光オリーブの里で、祝福の中に持つことができました。
 年に一度でも、継続することにより、主にある交わりに深まりが与えられている事実が浮かび上がります。
来年のため会場が予約されたと聞き、すでに準備が開始されていると知り励まされます。

(2)月に一度の割合で読み進めていますヨナ書の味わい、今朝は3章の二回目です。
前回は、3章における、主なる神の先行的な行為とことばに意を注ぎ、3章1,2節を「再びの神」との視点から味わいました。また特に3章10節に焦点を合わせ詳しく見ました。
 2回目の今朝は、ヨナの行為とニネベの人々の応答に注目します。

[2]ニネベにおけるヨナの行為、3章3、4節

(1)ヨナの変化
「ヨナは、【主】のことばのとおりに、立ってニネベに行った。」(3節)
 2章に見るヨナの祈りを通して、神の御顔を避けて逃れる者(1章3節)から、主のみことばのもとに立つ従順で真に大胆な者へと変えられているのです。

(2)ヨナの宣教の備え
「ヨナはその町に入って、まず一日目の道のりを歩き回って」
ヨナにとっては、ニネベ。歩いている間のヨナのこころの中での思い巡らす、内なる宣教。

(3)ヨナの宣教内容
「叫び、『もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる』と言った。」(4節)
 預言者として、率直に力強く語る。神の審判のメッセージを、ニネベの人々に告げる。
神がヨナに託した使命の実行。
私たちにとって、私たちのニネベはどこ。
私たちが歩いているところ、その場所に対して私たちの思い巡らしは。

★ニネベ・アッシリヤの首都
「あの大きなニネベの町」(2節)「ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな町であった。」(3節)、当時の人々の目に大きな町。

同時に何よりも主なる神の眼から見ても、その理由。
「まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」

[3]ニネベにおける応答、3章5−9節、参照マタイ12章41節、ルカ11章32節

(1)ニネベの人々の悔い改め
「そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。」(5節)。5節で全体的に描き、6節以下でより詳しく描く、巧みな描写です。
みことばの効果、主なる神の御業、人々の心を揺さぶる。みことばと聖霊ご自身の働きは、個人の心にも、さらに社会全体にも出来事を生み出し、歴史を形成。参照エゼキエル37章1−14節。

(2)王自身と布告
①王自身
「このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。」
「このこと」→「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」
王は、自分の権威の座より降り、主なる神の御前に個人的に悔い改め。

②王と大臣たちの布告
「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」(7−9節)
 真剣な悔い改めを求めています。

★「獣も、牛も、羊」(7節)、「家畜」(8節)についての言及。4章11節「数多くの家畜」

[4]集中と展開

(1)集中
 みことばへの聴従→心、生活、生涯、歴史形成。旧・新約聖書を一貫してみる、恵みの事実。

(2)展開
厳しい視点に立つ聖書の視野の豊かさ。神、人、万物(動物を含めて)を視野に。私たちの信仰の視野も、同じく。ピリピ4章8節、「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい」。