携帯電話祈りの交わり『礼拝の生活』再考その89

1972年5月28日
『礼拝の生活』89

(巻頭言)「私たちの使命を果たす力の源―祈祷会の重要性の再確認―」
 
今、私たちの教会にとって与えられている大きな使命が、次第にはっきりと表されつつあります。奥多摩、小作への広がり、教会学校の充実、中学生会、高校生、青年会、教会婦人会、さらにシメオン・アンナの会などそれぞれの年代に応じての交わりと伝道。そうした全体の歩みとの関わりにおける各自の責任。私たちの進むべき方向は定まりつつあると言えます。
 
しかし、与えられた使命のどれ一つを取り上げても、自然な時の流れの中になんとなく形を取っていくといった漠然としたものではないことも確かです。
それぞれの使命が常に再確認され、主なる神の恵みに対する応答としての信仰の一致からの祈り、祈りを通しての人格の内部から満たされるエネルギー。

今、私たちに求められているのは、キリストの教会がいつの時代にも使命を果たすために用いることを許された恵みの機会―共に集まり祈る機会―この一事を忠実に実践することです。
ですから、私たちの教会にとって、水曜日の祈祷会は、最も重視されるべき集まりです。教会は、「祈りの家」としての性格をなくしてしまえば、他のいかなる機能を果たしているように見えても、最も大切なものを欠いているのです。

私たちに対する使命が明らかにされればされる程、共に祈ることを大切にしなければなりません。水曜日の祈祷会以外に、早天祈祷会、婦人祈祷会、執事祈祷があることは実に感謝です。しかし、それらが教会全体としての祈祷会のかわりにはなりません。さらに、共に祈る喜びを深く体験したいものです。力の源の時間として。

★青梅の16年間と全く同じことを、首里の25年間でも確信し、小さな営みを継続しました。

 今は、うちなーんちゅの部屋祈祷会やペン剣祈祷会などの地域教会の枠組みと直接は結ばれていない祈りの交わりも。
 とても大切になっているのは、携帯電話を通しての祈りの交わり。これは、宇都宮キリスト集会に対する距離を隔てての牧会の中で学び、対象が大きく広がっています、感謝。