「百歳の励まし」『礼拝の生活』再考その88

1972年4月14日
『礼拝の生活』88号
 
(巻頭言)「シメオン・アンナの会―第2回修養会を前に―」
 
教会に委ねられている福音宣教の使命。この使命を忘れるとき、教会はもはや生きた教会としての活気を失ってしまいます。私たちは、他の人々と切り離した自分自身の姿を見て一喜一憂するのではなく、福音宣教の姿を通して、常に周囲の人々に開いた心をもって生きる使命を与えられています。
 青梅キリスト教会に委ねられている福音宣教の使命は、教会員各自の日常生活のなかで、着実に果たされていくべきものです。

同時に、教会全体として協力し、一致してこの使命に答える特権と責任があります。そして福音はすべての年代の人々に伝えられねばなりません。
ですから5月27日、28日に予定している、年を重ねた方々を対象とするシメオン・アンナの会(ルカ2章25−38節)第二回修養会を心から感謝します。
このために教会全体で祈りましょう。年輩の方々が一人でも多くこの集まりに参加し、主イエスを救い主と信じて豊かな日々を送れるように祈るのです。
 
昨年の秋に修養会を持つことが出来ず非常に残念でした。
しかしこの度は、吉野のバプテスト教会をお借りし集会を持つことになりました。
第一回の修養会においても、賛美と聖書の学びと懇談が一体となって実に楽しい時でした。今年は、5月28日の主日、シメオン・アンナの会の人々を中心とした主日礼拝をもつ喜びに満たされています。主を礼拝しつつ生きる礼拝の生活へと導かれる方々が起こされるよう期待しています。
 シメオン・アンナの会が、私たちの家族伝道のために特別に用いられるように祈りましょう。教会全体で。

1970年からの青梅キリスト教会時代、もみの木幼児園を中心とした幼児との出会いと切り離すことの出来ない恵みは、ルカ2章25−38節に基づく、年配の方がを直接の対象とするシメオン・アンナの会の交わりです。
 時に応じての集いが持たれました。その上に一泊の修養会、さらに新井オイツ姉の労による、「シメオン・アンナの便り」。さらにはシメオン・アンナの部屋のための祈り。

 1986年沖縄へ移住後も、ルカ2章25−38節は励ましの語り掛けでした。
年配の方々に注がれている恵みを、この聖書箇所を眼がねとして直視し接する機会を与えられていました。
 特に首里福音教会の近くオリブ山病院に老健施設オリブ園が設立され、毎月Ⅰ度教会の有志と訪問、礼拝を持ち宣教を続けるようになってからの歩みは、忘れがたい思い出です。   

そうした中で、「百歳の励まし」と題して一文を恵みへの応答として書きました。
「ヨセフは父の家庭と共にエジプトに住み、百十歳まで生き」(創世記50章22節)
 聖書が年令を記している人物の中で、創世記のヨセフは特に興味を引きます。一七歳(37章2節)、三十歳(41章48節)、百十歳(50章22節)と三回も年令を明記しています。 
毎月第4主日の午後、老健施設オリブ園の主日礼拝にあずかり続ける中で、ヨセフの記事は一段と親しみ深いものとなりました。八十代、九十代そして百歳を迎えて、主の御名を讃美なさっている方々の姿に直接接しながら、おひとりびとりの十七歳をヨセフのそれに重ねて思い巡らすのです。十七歳のヨセフは、胎児(詩篇139篇13ー18節)から一つ一つの段階を経て、ついには家族や故郷から切り離され新しい環境に移されるに至ったのです。 
 またおひとりびとりの三十歳を、三十歳のヨセフを通し思い描くのです。逆境の中,次々に与えられた場で忠実に役割を果たし続け、三十歳にして生涯の使命を与えられたのでした。委ねられた使命を果たし続ける、あのヨセフの姿に重ねて。

 何よりも三十歳から今にいたる年月、沖縄の戦後の歴史のただなかを歩み続けられたおひとりびとりの歩みの重さを覚えます。今、ヨセフのように(創世記50章19、20節)、ご自分の生涯を導いてくださった主なる神の恵みを認め告白し、主なる神の御名を讃美しておられる姿。「神は必ずあなたがたを顧みてくださるから」(50章25節)と将来への希望をご自身の存在をもって指し示し、接する者に生きる励ましを与えてくださっています。今月もオリブ園での礼拝が楽しみです。」