日本基督改革派教会『礼拝の生活』再考その86、87

1972年4月30日
礼拝の生活』再考その86、87号
 
(巻頭言)「問いかけ(一)」
 

4月24日(月)、市ヶ谷の私学館において日本福音主義神学会の公開講演会がありました。日本基督改革派教会の矢内昭二牧師による「日本における教会と国家」という非常に有益な講演会がなされました。講演の大筋をお伝えし、私たちへの大きな問いかけに最大の注意を払いたいと心から願っています。
 
講演は、日本の過去百年の教会の歩みの背景の中で、1967年復活節に日本基督教団総会議長の名で出された戦責告白の評価をめぐって展開されました。この意味で、講演の題にある「日本における」との問題意識が実にはっきりと打出されたのです。
しかも、なお大きな歴史的背景として宗教改革の三大原則、つまり、聖書の規範性、救いの恩恵性、教会の自主性の基盤に立って、プロテスタント教会にとって常に大きな課題であった教会と国家について、現在の時点で考えようとするスケールの大きな、またもっとも現実的な講演でした。

以上の点からだけでも私たちに対する問いかけは、真に厳しいものであると言えます。私たち青梅キリスト教会は、はたして日本のキリスト教会史の中で自らの立場と使命を考え生きているでしょうか。また聖書の規範性や救いの恩恵性と同じように、教会の自立性について自覚的に取り組んでいるでしょうか。
もしそうでないとしたら、聖書や救いは、単に私にとっての意味に解消されて、教会とは何か課題の根本に触れていないと強く反省させられます。
 講演の後半部分からの問いかけについては、次号で考えてみます。

1972年5月7日発行
『礼拝の生活』87号
 
(巻頭言)「問いかけ(二)」
 
 
先号に続き、矢内昭二牧師の講演、「日本における教会と国家」を通して、私たちに問いかけられている課題を考えてみます。
 
矢内牧師は、日本の過去百年のプロテスタント教会の歩み、宗教改革の三大原則、すなわち、聖書の規範性、救いの恩恵性、教会の自主性を背景に、現代の時点に立って、日本基督教団の戦責告白を、その問題提起としての正しさを高く評価されました。

しかし同時に、幾つかの問題点も指摘され、私たちに深くこの問題を考え、取り組むことを励まされたのです。
問題の第一は、教会と国家の関係について語る前提がはっきりしなければならない点です。まずキリスト教のメッセージの全体は何か、福音の内容とは何かがはっきりと理解され、信仰の告白がなされるのでなければ、土台を築かずに建て物を建てようと努力することになりかねないわけです。福音の内容と係わりで、さらに教会の使命が何か重要な課題が明らかにされていく中で、初めて教会と国家の関係について正しい問いが出され答えられていくと矢内牧師は主張されました。

このような地道な努力の積み重ねを通して、最も現代的な課題に取り組む必要があるわけです。しかもそれは単に個人的な努力ではなく、全教会の課題となるためには、教会の体質改善がなされる中で、推し進められていくべきです。教会の意志がどこで、どのようにして練られ、発表されるのかとの課題は、決して小さなものではありません。
 以上の問いかけをしっかり受け止めたいものです。

1970年、日本福音主義神学会発足当時、日本改革派教会の矢内昭二牧師と榊原康夫牧師の指導的役割は、私の目には際立ち、いつも好い刺激を与えられ感謝していました。

この恵みの事態は、その時からさらに10年前の出来事を想起させてくれます。
そうです。日本宣教百年記念聖書信仰運動(JPC)のことです。
E.ヤング先生やR.ニコル先生が講師と招かれ、仙台・東京・名古屋・大阪・神戸・京都の各大会で講演されました。
 私は、日本クリスチャン・カッレジの下級生として、東京大会に参加しました。
講師の紹介をなさったマキルエン宣教師、東京恩寵教会の常盤牧師、ニコル先生の講演を通訳なさった石丸新先生など、日本基督改革派教会の先生方の積極的な姿を記憶しています。
 あの大会で、ニコル先生の講演を初めて聴きました。後に生涯の恩師となる方などと全く想像もできずに。

 話は、日本福音主義神学会に戻ります。
かなり早い段階で、矢内昭二牧師と榊原康夫牧師は、日本福音主義神学会、直接的には東部部会から離れられました。
私はとても残念で実に寂しく思いました。

ところが1986年4月沖縄への移住により、日本福音主義神学会東部部会から西部部会に
所属を変更することになりました。
西部部会では、関西地域の諸神学機関の交流が盛んで、神戸改革派神学校の牧田先生や市川先生など積極的な活動を続けておられ、25年間、幸いな交わりを重ねました(「聖書 沖縄 人間・私―あとがきにかえて その2」宮村武夫著作2『礼拝に生きる民』223頁以下)、感謝。