『喜びカタツムリ』はじめの一歩④

『恵みから恵みへ』100(2011年3月1日)

恵みの聖句「全地よ。【主】に向かって喜びの声をあげよ。
喜びをもって【主】に仕えよ。
   喜び歌いつつ御前に来たれ。
知れ。【主】こそ神。
   主が、私たちを造られた。
   私たちは主のもの、主の民、
   その牧場の羊である。
感謝しつつ、主の門に、
   賛美しつつ、その大庭に、入れ。
   主に感謝し、御名をほめたたえよ。
【主】はいつくしみ深く
   その恵みはとこしえまで、
   その真実は代々に至る。」
詩篇100篇)

[1]序
 2010年6月25日発行の『恵みから恵みへ』99から2011年2月現在までの期間も、身に余る真実な恵みに支えられて、喜びカタツムリの歩みを継続でき感謝でした。
 
[2]夏から秋、そして冬へ
(1)7月の歩み
7月17日から20日まで、退院後三度目の上京二人旅に出かけました。
7月18日には、聖望キリスト教会の主日礼拝
ヨハネ15章26、27節、そしてガラテヤ5章22−26節『この確かな約束に立って』
午後聖書味読会、『聖書・神から人への手紙―パウロの手紙―ピレモンへの手紙』

★聖望キリスト教会 の主日礼拝宣教、聖書味読会のレジメ希望の方連絡ください、添付で送ります。また「沖縄で聖書、聖書で沖縄」の集い、「エステル記味読の手引き」のレジメ、岡山での集いのレジメについても同様です。

聖書味読会の後は、6月から教会堂建築が開始されている大竹宅近くの工事現場に移動、一同で祈り心熱くしたことです。
 大竹兄のご両親の戦前からの祈りの積み重ね、その上に立ち10余年前家の教会主日礼拝をスタートした聖望キリスト教会の歩みにおいて、大切な節目を迎えています。
この10年余沖縄から通い、年に4回主日礼拝と午後の集中的組織的な聖書の味読会を私は担当してきました。1951年開成中学1年5組で大竹君との出会い、あの時早生まれの私たちは12歳、そして今年72歳。まさに恵みの御手の中で。

 7月19日午後は、ICU・国際キリスト教大学永田竹司教授・主任牧師の執務室での宮村武夫著作集編集会議。東京キリスト教短大やキリスト神学校での私の授業の雰囲気そのままで、年月の経過を越えて実に楽しいひと時でした。
 その中でもキリスト教会の出版をめぐる厳しい事情が改めて伝えられました。
しかし同時に、素朴であっても根本的な心構えも、よりはっきり確認しました。そうです。制度の教会内の人々だけを目標に限定したり、狭いキリスト教界だけを眼中におくのではない。一寸の虫にも五分の魂。人間・アダムであれば誰にでも読んでもらえ、それなりの結実を求める著作の刊行をと心定めて帰ってきました。
 
 思えば、日本女子大の授業が一つの原点です。学生方に聖書そのものを率直に伝達すれば、彼女たちは尊い「アダム・エバ・人間」、確かにしっかり受け止め応答してくださる、8年間毎年2回試験答案を読むのが何とも喜びでした。日本女子大での貴重な経験を、決して容易くない著作刊行への励ましとして受け止め、改めて感謝しています。

(2)8月の歩み
8月9日午前中、通所リハビリ施設つばさでリハビリ中に、沖縄戦の真実の証人・金城重明先生から携帯へ電話。午後2時からNHK教育テレビ「こころの時代」の番組で、金城先生の対話・「人は希望によって生きる」のアンコールがあると連絡。
 2009年12月13日最初の放送の際は、12月18日に脳梗塞発症・入院の直前で私一人だけで。今回は君代と共に、番組直後金城先生に深謝の電話をしました。

夜間の左手硬直が続く中で、8月11日に待望のベットが届きました。
 ベットでの生活で大浜第一病院に入院中と似た状態になり、夜の断続的な睡眠のときは勿論、祈り、思索、休息などのいずれも「らくちん、らくちん」で、感謝、感謝。

(3)夏、秋、そして冬
①この期間、沖縄での宣教の機会についてて、二つの恵みを報告します。
一つは、石川福音教会の主催で、私たちの狭いアパートで『沖縄で聖書・聖書で沖縄』の集いを月に一度継続できたことです。多彩な参加者は、毎回聖書の味読に心満たされ、積極的な発言が生む話題の見事な展開を楽しんでいます。

もう一つは、私ども二人にとり思いを越えた大きな意味を持つ、名護チャペルとの出会いと交わりの深まりです。
英国の宣教団体の宣教師・牧師としての働きである、あの辺野古のある名護市のクリスチャン・リンク名護チャペル(田野秀康牧師・名桜大学正門前)で8回も宣教の機会が与えられました。7年間の開拓伝道後、田野宣教牧師が9月−11月休暇を取られたのです。
 田野先生と君代は何と岩手県北上市にある高校の同窓です。
 田野ご夫妻お二人は、東京芸大卒の音楽家、ユニ−クな全人格的な宣教を展開。
今回の出会いは、私たち四人の心と心を固く深く結びつけ、田野先生ご夫妻が休暇から帰国後も、12月、1月、2月もそれぞれ2回主日礼拝宣教を担当。
 今後の可能性として、名護チャペルの協力宣教師としてのかかわりが話題に出るほど。

②今年に入って、日本同盟教団中国・四国2011年新年聖会、恵み溢れる集いと出会い。
 2011年1月10日 岡山市西大寺キリスト教会 
 「イエス・キリストをいつも思っていなさい」、テモテ2:8
第一聖会、『ダビデの子孫として生まれ』
第二聖会、『死者の中からよみがえったイエス・キリスト
1月9日(日)西大寺キリスト教主日礼拝
 ヨハネ14:12−17、『徹底した聖書信仰・徹底した聖霊信仰』

 その後も、1月23日(日)聖望キリスト教会 主日礼拝宣教
ヨハネ1章14節、『ことばは人・からだとなってーその恵みの深さ広さー』
午後の聖書味読会、Ⅱテモテ2章8−13節、『聖書は全て神の霊感によって』

1月24日(月)立川駅キリスト教会。日本センド派遣会理事会

この期間も、君代の助けを受け、喜びカタツムリの歩みを進めてきました。ひとつひとつ、そしてすべてが主の一方的恵みです。

[3]5月24日、沖縄から
 日本センド派遣会理事会での相談を重ねる中で基本的な方向が明確になって来ました。
 私ども、25年の沖縄での歩みの後、来る5月24日千葉県市川への移住予定です。その日に備えて具体的準備を始めています。
住居は、開成中学一年生のクラスメイト・聖望キリスト教会の大竹堅固兄宅庭続きの一軒家です。
 沖縄の主なる方々に祈り送り出されての関東への体制への整え、また移住が沖縄の方々にとっても少しでも益になるようにとも願っています。

[4]集中と展開
(1)集中
出発を前に、心に残る主日礼拝、集会、話し合い、交わりのときなどを持てれば、幸いです。下記の3月24日予定の集会も大切な一つです。

石川福音教会 2011年半日修養会 『神様・私・隣人』
日時 3月24日(木)10時―14時半
講師 宮村武夫牧師
場所 かんな祈りの家(宜野座村漢那タラソ入り口すぐ横)
午前 ルカ19章1-10節、『ザアカイの記事に見る神様・私・隣人』
午後 出エジプト20章1-17節、『モーセ十戒に見る神様・私・隣人』
石川福音教会 電話964-2536(牧師重元清)

 その他、たとえば以下の機会。
①3月13日(日) 沖縄聖書神学校卒業式
②3月27日(日) 那覇バプテスト教会主日礼拝宣教 
ヨハネ14:12−17、『徹底した聖書信仰・徹底した聖霊信仰』
③4月3日(日) 那覇聖書研究会(無教会)主日礼拝宣教
Ⅱテモテ2章8−13節、『聖書は全て神の霊感によってー内村鑑三、「聖書全部真言論」からのずれへの危惧―』

(2)展開
 高校時代キリスト信仰に導かれ、最初のキリスト証言の場だった母校開成。
同窓生の祈りの群れペン剣祈祷会に根差して母校関係者への宣教の備え、原点回帰。
 移住に先立ち、すでに幾つもの励ましを受けています。
まず1957年卒の同期生I君からのメール
「お礼が遅くなりましたが、貴兄の近況報告を見させていただきました。
電話でもお話ししたと思いますが、貴兄の著作集出版記念会当日は、開成時代の仲間14人で軽井沢にある 富士電機企業年金保養所に一泊して、昔話やら、近況報告やら、日本国の現状やら、余生の生き方やら……。楽しく賑やかなひとときを持ちました。当日、『恵みから恵みへ』をみなさんに渡しながら、立派な貴兄の話題でまたひとつ話しが弾みました。みなそれぞれが、それぞれの人生を真面目に努めているのはさすがに開成の仲間だと感銘しました。貴兄も健康には充分留意されて、人々を導き続けて下さい。小生も、時代の宿命に従いつつも、自らの内なる知に従って生きています。開成の仲間の近況は、時々ご連絡いたします。                   I」

 また飛び上がるほど嬉しいメールが後輩から。
「宮村先生
 初めてメールを差し上げるご無礼お許しください。
 私は開成高校を平成2年に卒業したUMと申します。
 私は35歳のときに子供を亡くした際にキリスト教に初めて触れて洗礼を受けました。それ以来、国際基督教大学教会の教会員です。多感な頃を過ぎてからの回心ですが、聖書はもちろんのこと、キリスト教の本や文献が愛読書になってしまいました。
 開成会報「会員短信」を読み、開成のOBにクリスチャン、しかも牧師の方がいると知り、その驚きと喜びからメールを差し上げたしだいですが、私は・・・省に努めており、夏に在外に赴任する予定です。大変ぶしつけながら特に社会で働く者が読んでおいたほうがよいと先生が推薦する本があれば、在外にもっていきたいと思います。
 先生の著作集刊行の話があると読みました。もし私にご協力できることがあれば、おっしゃってください。・・・」
 国際基督教大学教会の永田先生との親しい交わりを伝えたところ、
「宮村先生
 奇遇に驚いています。永田先生は私が洗礼を受けた時に指導してくださった先生です。
 いただいたメールの添付ファイルを読ませていただいてからお電話を差し上げます。
 私は夜まで仕事をしていたり、会食が入っていることが多いので、お電話は来週の火曜の夜ぐらいになってしまうかもしれませんが、必ずいただいた文書をお読みしたうえでお電話いたします。・・・7月19日はICUにちょっとでも顔を出せればよいのですが、・・・ご推薦いただいた本は早速明日役所の本屋で注文してみます。・・・」
 7月19日、編集会議の場で、髪を短く短パン姿のUM兄と面会、感激。
今日までの半年余り繰り返えされるメールの交換、私にとって特別な祝福であり、深い慰めでした。 開成会報「会員短信」欄への報告に、ただ一人の応答、その重み。
「宮村先生
 毎日のように申し訳ありません。
メールでいただいた『恵みから恵み』を読ませていただきました。
何よりもご退院後ご不自由のあるにもかかわらず、精力的な先生のご活躍に触れて私自身元気をいただいた気がします。先生の活動に常に恵みがありますように。
以下、不躾を気にしつつ、長々と書いてしまいました。お赦しください。
『恵みから恵み』を読んでとても深く感じたのは、先生の交わった多くの人の話が生き生きと描いてある点です。恵みは人と人の関係に注がれるということではないかということです。
 先生の入院のお話やいろいろな人との交わりのお話を読んで、突飛かもしれませんが、自分が回心したころのことを思い出してしまいました。私の息子は重い心臓病だったのですが、なんとか治したい一心で完治させるわけではないのですが、手術を受けさせました。その手術に耐えられず息子は召されたのですが、その時、私はこの手術に積極的だった妻をとても恨みました。ただ、どうであろうが、息子は召されたのですから葬式をしなければなりません。そこで、最初は仏教式ともおもったのですが、息子が大好きだった幼児園を運営しているICU教会に思い切って頼んでみました。さすがに息子の葬式をキリスト教式で出すに当たっては、キリスト教のキの字も知らないわけにはいくまいと思い、聖書を読んでみました。マタイの福音書を読み進めていくうちに、『恵みから恵みへ』99号でいみじくも先生が引用された、マタイ11:28−30と同じくマタイの「自分の十字架を背負いなさい」という箇所を読んではっとしました。私は妻を恨んでなんかいなかったのです。むしろ息子の病気をどしんと受け止められずに少しでも良くすることばかりに焦っていた自分が受け入れられなかったこと、そしてそれを正面から見据えずに妻を恨むことでごまかしていたということに気付きました。息子の病気についてもその治癒を祈ることはそうなのかもしれませんが、本当に祈るべきは息子のよき父となれるよう導いてくださいということ、つまり恵みが私と息子の関係に現れてくださいということだったのではないかと気付いたのでした。
 私にとって主の教えは息子が残してくれた大切な形見です。そしてその主の教えに導かれて、宮村先生もそうですが、思ってもいなかったような人と関わりをもつことができるのは何よりの恵みだと思います。
 もう一つ、先生が98号でご紹介くださった大竹堅固さんのお話を読んで、高校時代を思い出しました。もちろん、時代背景もまったく異なるので、先生の当時は推察も難しいですが、開成高校の自由な気風、自分で考えることを求める校風になじんだことも回心の布石だったのではないかと感じています。『恵みから恵みへ』を拝読してペン剣祈祷会が開催されていると知りました。私のようなものが参加することができるかどうかわかりませんが、もし、機会があれば呼んでいただければ幸甚です。
 お体の不自由をおして、私にもご連絡くださったこと深く感謝しています。
いつもこんな感じで夜も遅くなりがちです。お電話をというご厚意をいただいてから少し時間が空いてしまいますが、もし、よろしければ来週の火曜日夜にお電話を差し上げます。
どうぞご自愛ください。
恵みと平和がありますように。」
 海外で活躍するUM兄のための祈りは、ペン剣祈祷会の大切な役割の一つです。

  後輩だけでなく、先輩からもメールを。
2009年12月18日脳梗塞を発症、那覇市立病院に入院した際、カーテンを隔てて隣のベットに、なんと開成で2年上級のS先輩が。末期癌の先輩のためペン剣祈祷会で熱心に祈り続けてくださいました。
S先輩の死去後、夫人についての最近のお報告。それへの応答です。
「ペン剣祈祷会の諸兄
頌主
2月10日、S夫人が私ども二人を、那覇でも有数の和食レストランに招待してくださいました。
 S先輩のアルバムを持参くださり、卒業年度が2年しか違わないこともあって、開成の制服姿の先輩の写真を指差しながら、話が盛り上がりました。
 改めてあのような時と場での出会いを感謝。
 5月24日に私どもが市川に旅立つ前に、もう一度お会いすること、
またS夫人が市川の鈴木先輩の実家を訪問する際には、聖望キリスト教会でお会いすることを約束しました。
S先輩のための祈りが、私たちの思い通りではありませんが、実を結んでい
る事実を確信し、ご報告いたします。・・・」

一人の先輩からの連絡。
「宮村武夫兄
有り難うございました。主にあって貴兄は良いお働きをされました。S姉の上に主のお導きを祈ります。貴兄ご夫妻の上に主の祝福が豊かにありますように。
ご存知と思いますが、『信徒の友』の来月号(3月号)に聖望キリスト教会が「献堂しました」という記事になるそうです。クラスメートの一人が信者ではないのに献堂式に出席して式次第をくれました。
母校開成では依然辛い事件があるようで、『私達の祈りが届きますように』と一層祈りを熱くしたいです。
ご健勝を祈ります。」