『喜びカタツムリ』はじめの一歩③

『恵みから恵みへ』99(2010年6月25日)


恵の聖句 「神は、ご自分の定められた時に、このみことばを宣教によって明らかにされました。」(テトス1章3節前半)

[1] 序
2010年1月13日からの大浜第一病院入院中も、ボンヘッファー著、『主のよき力に守られてボンヘッファー1日1章』を愛読しておりました、
4月2日の退院を前に、3月26日分の「寄留地のおきてを尊重すること」(『詩篇119篇による黙想』より)の一部を「この唯一の確かなもの』と自分なりの題をつけ書き写し、その後、折に触れ味わいました。
『この唯一の確かなもの』
「・・・そしてほかでもない神が、私をこのように弱く、かつ小さく造ったので、それゆえに、神は私に『言葉』という私の目標のための、ただひとつ確かなしるしを与えてくれたのである。この唯一の確かなものを、神は私から取り去ることはないであろう。神の言葉を神は私に与え続けてくれるであろう。そしてこの神の言葉において、私が神の力を感じ取ることができるようにしてくれるであろう。真の故郷から来た言葉が私のところにある時、私はこの地上で私の歩むべき道を見いだし、不正の中に正しさを、不確かさの中に拠り所を見いだすことになるであろう。そして労働する時には、大きな力を、苦しみが襲う時には、忍耐する力を見いだすことになろう。」

 5月、6月の歩みも、「この神の言葉において、私が神の力を感じ取る」恵みのときでした。それぞれの月の一つの集いに焦点を絞り報告いたします。

[2]5月から、「沖縄で聖書、聖書で沖縄」(主催石川福音教会)のつどい
 5月27日夜、第1回「沖縄で聖書、聖書で沖縄」のつどいを私どものの小さなアパートで開き、宮村武夫著作集Ⅰの「・・・つつの恵み」を取り上げました。男女6名づつが集い、文字どおり家庭的な暖かさと同時に突っ込みもあり、時間を忘れるほど。

『・・・つつの恵み』再考レジメ
[1]序
(1)今日、この日、この集いを迎えた感謝、喜び。
(2)『・・・つつの恵み』について、参加者各自の読書感想報告

[2]アウグスティヌスの自己意識・自分理解の確認
(1)進歩する者
 ①進歩する者の前提、生きる者、よリ正確には、生かされている者。
  生ける三位一体なる・愛の交わりなる神に生かされる者。
  この生けるお方こそ、私たちの進歩の源であり、原動力。
  単に生かされている、非人格的な意識ではない。

 ②人間、万物の創造
  黙示録1章8節、21章6節
★元創造 創世記1章1節・アルファ−
   「初めに、神が天と地を創造した。」 

★再創造・新しい創造 ガラテヤ6章14節・オメガ−
「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」

★創造から再創造の全過程が、万物・全被造物の救済の歴史
   ローマ8章18−25節、被造物全体(22節)が救済の対象、その意味での救済の歴史。この全体像が正しく視野に入るとき、はじめて、小さな人間・私の進歩・営みの意味と確かさがハッキリする、「忍耐と希望をもって」(ロ−マ8章25節)。参照 視点と視野
伊江島中高生キャンプでは、タッチュウの頂上で、コロサイ3章11節を朗読、
タッチュウの頂上からなら伊江島全島が視野に入るように、キリストを視点に万物を視野に入れる道を提示。

参考資料 より基盤となる、『新旧約聖書を貫く三本の柱』を希望の方は、連絡ください。添付で送付します。

  (2)書く者
   言葉についての聖書の基本的教え
  人間・私は、真のことばなるお方に創造された、本来的に私とことばは切り離せない。
さらにことばと書くこと、特に本を書くについて。
参加者の中で最近著作を出版した、中嶋聡兄、『眠れぬ夜の精神科』(新潮新書)、
宮村武夫、『愛の業としての説教』(ヨベル)の経験と覚悟の報告。
   文字・本の特徴は、確実性、公同性、永続性。

[3]アウグスティヌスを引用するカルヴァン
(1)アウグスティヌスカルヴァンそれぞれの時代
  アウグスティヌス(354−430)
  カルヴァン(1509−1564)

(2)時代の隔たりを越えて、カルヴァンアウグスティヌスを引用、なぜ出来るのか。
 創造から再創造の全過程が万物・全被造物の救済の歴史、この同じ歴史に生きる同時代人としての意識と自覚。

(3)引用の事実として注目すべき実例、新約聖書旧約聖書引用、その持つ意味は。

[4]集中と展開
(1)集中
「・・・つつの恵み」、主イエスご自身・人格的存在(非人格的な教えとかモットーなどでなく)アルファ−であり、オメガ−。確かな生ける根拠。
ヘブル12章2節
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」

(2)展開
あらゆる場合への手引き
①先達の助言、「深く、広く考え・計画し→小さく始める。」

②継続する覚悟が確かでないことは、開始しない→しないこと。
 開始したことは、継続する→すること。

報告
(1)6月は、24日(木)昼のコ−ス、午前10時より
 創世記の味読の手引き

(2)7月は、22日(木)夜のコース、午後8時より
宮村武夫著作集Ⅰの「ルツの神」読書感想の報告
エステル記の味読
   
[3]6月7日著作集の出版記念会は
6月7日著作集の刊行記念会は、実に祝福に満たされた集いで、御名を崇めました。
組織も力もなく、ただ人と人の信頼関係・主の真実に基づくのみにより、
著作集が刊行されて行くこと、まさに恵みの波紋の広がりです。
 場所は、御茶ノ水キリスト教センター411会議室。
プログラム
15:00 司会:大和昌平(編集委員東京基督教大学准教授)(簡単な経過説明を兼ねて)
聖書朗読 「ローマ8・18〜25」
祈  祷
永田竹司(編集委員長、国際基督教大学教授)挨拶
赤江弘之(賛同人会長、東京基督教大学理事長、日本同盟基督教団 西大寺キリスト教会牧師)挨拶
林 桂司(日本センド派遣会理事、日本福音キリスト教会連合 青梅キリスト教会牧師)
   ショートメッセージ
歓談の時(立食式)
宮村武夫先生からの報告(所感レジメ)
来賓の方々の祝辞、欠席の方々から
朝岡満喜子(宮村夫妻の日本クリスチャン・カレッジ以来の親友)
大竹堅固(市川家庭集会・聖望キリスト教会信徒代表)
松谷好明(日本基督教団 館林教会牧師、聖学院大学総合研究所特任教授)
基金のお願い(鮫島 茂(編集委員・会計担当、青梅キリスト教会 附属もみの木幼児園園長)
著作集の編集進行状況(安田正人(編集委員日本基督教団 東所沢教会会員)
17:00 閉会

 様々な背景を持つ方々が、主にある一致を体現しながら交わりの時を楽しみつつ、
著作集の刊行の目的で一つとされている様、まさに主の恵み以外のなにものでもありません、心から感謝です。
 この記念会が、8月に予定されている2冊目の著作刊行、さらに今後の刊行計画全体に対する祈りの集中のため用いられることを確信します。
 以下のような著作集現在までの進行状況が報告されました。
宮村武夫著作集現在までの進行状況
第1巻 愛の業としての説教2009 年11 月刊行 四六判上製・328 頁・1890 円(税込)
巻頭言:赤江弘之(東京キリスト教学園理事長、日本同盟基督教団 西大寺キリスト教会牧師) 
エッセイ:水草修治
第2巻 注解申命記 + 説教申命記
巻頭言:清水武夫(玉川上水キリスト教会) 
エッセイ:細田浩(入稿済、弁護士、日本福音キリスト教会連合 昭和町キリスト教会・教会員)
第3巻 注解コリント第一 + 説教または関連エッセイ(未着手)
巻頭言:市川康則(神戸改革派神学校校長) 
エッセイ:朝岡 勝(日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会牧師)
第4巻 注解テサロニケ第一、第二、ガラテヤ書、ペテロ第一、関連エッセイ、説教
巻頭言:池永倫明(日本キリスト教会 蒲田御園教会牧師、日本キリスト教会神学校講師) 
エッセイ:関野祐二(聖契神学校校長、日本聖契キリスト教団 鶴見聖契キリスト教会牧師)
第5巻 神から人へ・人から神へ 「聖書・神学」考(初校終了) 7 月〜8 月刊行予定
巻頭言:松谷好明(日本基督教団 館林教会牧師、聖学院大学総合研究所特任教授) 
エッセイ:永田竹司
第6巻 ドストエフスキー論(初校)+月報(データ入稿済)
巻頭言:新井明(日本女子大学名誉教授、入稿済) 
エッセイ:大和昌平
第7巻 喜びの存在(現在校正中 → ) 10 月刊行予定
巻頭言:湊 晶子(元東京女子大学学長) 
エッセイ:林桂司(日本センド派遣会理事、日本福音キリスト教会連合 青梅キリスト教会牧師)
鮫島 茂(原稿入手済)
第8巻 ヨハネの手紙第一、第二、第三+神学エッセイ(現在内校中)
巻頭言:吉枝隆邦(日本同盟基督教団 赤羽聖書教会協力牧師、Hi-B.A.責任役員、日本センド派遣会理事) 
エッセイ:遠藤勝信日本同盟基督教団 小平キリスト教会牧師、聖書神学舎講師)__


私は、挨拶として、以下の内容をお伝えしました。

著作集刊行の目的の一つ・宮村私案
−「牧会」の本来の、深い、豊かな理解と実践を求めて−

[1]序
 牧会は、牧会者である牧師だけがするとの狭い、一面的な理解と主張が幅を利かせている現状に違和感を覚え続けてきたのです。
 これに対比して、私なりの理解と主張の要点を中嶋聡兄が、『愛の業としての説教』の帯に書いた推薦文で提示。

[2]聖書に根拠
 創世記2章15節 本来の人間
「神である【主】は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」
参照創世記3章18,19節 現実の人間
「3:18 土地は、あなたのために、
  いばらとあざみを生えさせ、
  あなたは、野の草を食べなければならない。

3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、
  ついに、あなたは土に帰る。
  あなたはそこから取られたのだから。
  あなたはちりだから、
  ちりに帰らなければならない。」

マタイ11章28−30節
「11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

 11章28節だけでなく、29,30節も。正しく、深く豊かに理解し実践。
28節が特定の人だけに限らず、すべての人に開かれているように、29,30節も同様。

[3]中嶋聡兄の場合
「宮村先生は首里福音教会牧師時代、私たち教会員に、『持ち場立場でのそれぞれの活動が牧会である』と言われました。みことばに堅く立ち、それぞれの現場を大切にし、現実現場に即してものを考えようとする姿勢です。
 ご自身の持ち場・沖縄を人一倍愛しつつ、曖昧な妥協を嫌い、先入観にとらわれずに社会や歴史を判断する強さをお持ちです。そんな先生の著作集に心から期待しています。」

中嶋兄は、なかまクリニック院長、宮村の主治医。また宮村の牧師であった教会の教会員であり役員、何よりも神の御前における、人間と人間の20年以上にわたる交流。


[4]集中と展開
牧師の役割の一つ、しかも重要な一つは、教会員各自が牧会できるような説教を、主日礼拝を中心に語り続け、結実を見ること。
 その営みと、著作集の刊行が絡み合えれば幸い。アーメン

[3]時と場所の制約に耐え、時空を越えるキリスト信仰の旅
宣教報告 
(1)1960年代後半、埼玉県寄居町で出会った松本鶴雄さん・文芸評論家との長年の交流の後、入院中に文芸雑誌・修羅の同人となりました。この時期、最初の原稿・
「アンヨをもって、テテもって」を送付したところです。
現場に生きる人間に現場で通じる言葉で、「神の恵みとひとりの人イエス・キリスト」(ロ−マ5章15節)を伝えたく整えを求めています。

(2)スチュワーデス・客室乗務員
6月8日(火)午後、那覇で飛行機から降りる時、パーサー・客室の総括者の方から、
次のようなメモを頂きました。
「宮村様
   機内にはたくさんの出会いがあり、いつも学ばせて頂いています。
  つつしみを知って、生きること、
  悲しみだけでなく、喜びも共に分かち合うこと、
  今日、学んだことです。
  ありがとうございました。Y.T.」
 左手足が不自由になってから、客室乗務員の方々にお世話になる機会が増えました。
その分お話しするのが自然な成り行きになります。
 今回も、後輩を指導するに当たって何が大切かとの話の流れから、
「慎み」(『愛のわざとしての説教』275頁以下)の神学を紹介したのです。
 若い乗務員に、自分には何が出来ないかはっきり自覚を与える。
自分でも何ができるか見出し、言い訳から解き放ち。
何が自分にしか出来ないか、存在の喜び。
 またローマ12章15節を紹介したのです。
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」
 確かに、若い後輩は、悲しみや苦しみの時、共に泣いてくれる先輩を必要としている。
しかしより切実な必要は、若い後輩が嬉しいとき、喜びの日に、本当に真の意味で喜ぶ者といっしょに喜ぶ指導者、いや人ではないか。

(3)『恵みから恵みへ』100号へのあなたの一言を
『恵みから恵みへ』1号は、2004年4月4日に発行されました。
 そこには、以下のような記事も。
「[2]小学校5、6年生から
4月9日(金)午前中の沖縄聖書神学校4年生組織神学の授業を終え、午後に上京予定。宿泊は足立キリスト教会の宮村三郎牧師宅と打ち合わせています。三郎牧師の健康が優れないと聞いていますが、直接顔を合わせる機会を与えられ、感謝です。教会また親族のため祈る幸いなときです。
10日(土)午前10時に、JR小岩駅改札口で、小学校5、6年生のときの担任花井くら先生、またクラス・メイトの洞井さんと待ち合わせています。
花井先生は高齢になられ、お足が不自由なのです。それにもかかわらず、年に一二度お訪ねする際には、いつも訪問する私のことを考えてくださり、駅の改札でお会いし、近くで食事をしながらゆっくりとした心温まるときを過ごすのが定番になっています。
今回の話題は、今から予想できます。クラス・メイト(つばめ会)10名が、4月17日(土)-19日(月)沖縄を訪問くださるのです。洞井さんは、50余年前クラス委員のときと同様、今回の旅行でも世話役です。他に例のない、「思い入れ」のスケジュールを計画をどうぞと連絡くだいました。そこで、18日(日)、首里福音教会の主日礼拝出席と昼食・交流会を提案したのです。すぐに提案を繰り込れた予定表が送られて来ました。
花井先生と、沖縄旅行の前味のようなときを過ごせそうです。」