『喜びカタツムリ』はじめの一歩1

★『恵みから恵みへ』97(2010年4月4日)

恵の聖句 「主よ。あなたは、みことばのとおりに、
しもべに良くしてくださいました。

よい分別と知識を私に教えてください。
私はあなたの仰せを信じていますから。

苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。
しかし今は、あなたのことばを守ります。

あなたはいつくしみ深くあられ、
いつくしみを施されます。
どうか、あなたのおきてを私に教えてください。

高ぶる者どもは、私を偽りで塗り固めましたが、
私は心を尽して、あなたの戒めを守ります。
彼らの心は脂肪のように鈍感です。
しかし、私は、あなたのみおしえを喜んでいます。

苦しみにあったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました。
あなたの御口のおしえは、私にとって、
幾千の金銀にもまさるものです。」
詩篇119篇65−72節)
[1] 序 

2009年12月月18日(金)、脳梗塞発症のため沖縄県那覇市立病院に入院、翌月1月13日(水)、リハビリに集中するため大浜第一病院へ転院移してからの日々。多くの方々の祈りと好意に支えられたのです。この経験は、1963年から1967年若き日の留学に匹敵する深い学びのとき、しかも短期集中の楽しくて、楽しくて仕方がない日々でした。

[2] 丸太の笑い 
 
 あの12月18日(金)、夕方那覇市の職場ライフ・センタ−から帰ってきた妻・君代は、私の様子が普通ではないのに気づきました。私は一晩寝れば大丈夫と威張っていました。母親が脳梗塞であった経験を持つ君代は、脅したり、賺(すか)したりして、そんな私を病院へ連れて行ってくれたのです。
病院では、直ぐに治療開始。しかし、一晩経過した時点では、左半身不随、丸太となってベッドに横たわっていました。
その時、「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました」(詩篇119:67)の告白は、私の告白ともなりました、主の導きの中で。
大浜第一病院に移った後、日本クリスチャンカレッヂで3年先輩の宮谷宣史先生による新しい訳で、アウグスティヌスの『告白』を読み始めることにしました。
またそのどん底の状態の中で、からだをめぐる思索、医療従事者の方々との出会い、医療のあり方についての考察など貴重な経験をする第一歩を踏み出したのです。
大浜第一病院では、一日3時間のリハビリの連続。日々、楽しみながらリハビリを続ける中で、私のうちに一つのことが生じたのです。からだの奥から笑いが満ちてくるのです。箸がころんでも笑う年頃の娘のあり様で、「ウフフ、ウフフ」なのです。脳梗塞のため、どこか緩んでしまったのではないかと君代が案ずるほどに。
そのような情況の中で、詩篇126編、その1、2節を読んでいるとき、「これだ!」と心に受けとめたのです。
「主がシオンの捕らわれ人を帰されたとき、
私たちは夢を見ている者のようであった。
そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、
私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
そのとき、国々の間で、人々は言った。
『主は彼らのために大いなることをなされた。』
主は私たちのために大いなることをなされ、
私たちは喜んだ。」

リハビリの一つは、言語治療です。舌の動きに集中しながら発声訓練。「舌、舌」と生涯でこれ程「舌」を意識した日々はありません。「私たちの舌は喜びの叫びで満たされた」(詩篇119篇2節)とは文字通りの私の実感でもありました。
誤解を恐れないで言えば、脳梗塞発症後のリハビリの経験は、小さな小さなスケールではあっても、バビロン捕囚からの解き放ちであり、今落ち着いた状態であっても、解き放ちの喜びをなお生活の基底に覚えるのです。

[3] 恵みの交わり、幾重にも

 脳梗塞発症から退院までの経験のはじめから終わりまで、実に多くの方々との交わりの中に支え守られてきた事実を覚え、心より感謝しています。
交わりは、様々で、幾重にも重なる豊かなものでした。
(1)祈り
処々各所の方々の祈りが一身に注がれ、
「信仰による祈りは、病む人を回復させます」(ヤコブ5章15節)との約束の成就を経験させて頂きました。

(2)携帯電話
宇都宮キリスト集会の方々との交わりは、年4回の訪問以外は、沖縄から宇都宮へ発送するテ−プ説教を通してであり、携帯電話を用いてした。特に遠く離れた二つの場所を結ぶ携帯を通しての祈りは、宇都宮キリスト集会の歩みにとりなくてはならないものです。
この宇都宮キリスト集会との経験が、入院中大きく広がり様々な地域の方々と、携帯を通じて祈りを合わせる恵みの波紋の広がりをを味わいました。

(3)手紙・メール
右手を自由に用いることができたのです、幸いでした。時間は今までよりはるかにかかります。しかし彫刻刀で文字を刻むようにして手紙を書き続けることができたのは、やはり小さくない恵みです。さらに制約のある中で、メ−ルもそれなりに。

(4)来訪
近くから遠くから。
12月18日(金)入院直後、多忙な中駆け付けて祈ってくださった、那覇バプテスト教会の国吉先生をはじめ、多くの方々が訪問くださり、祈ってくださいました。
特に大浜第一病院ではほとんどの病室が個室でしたので、訪問くださった方々と落ち着いた対話を重ねることができ、訪問くださった方も訪問を受けた私も、ともどもに心満たされ、御名を崇めました。
2月には、次弟義男夫妻と長女の美喜子さんが来沖、東京深川の実家から遠く離れた沖縄の地でゆっくりした交わりのときを与えられ、幸いでした。
3月には妹恵美子と娘二人の訪問。その妹は、昨年12月17日(土)召天、弟と兄二人の牧師の司式で前夜式と告別式。  
同じく3月には、聖望キリスト教会の大竹ご夫妻が来沖。ご夫妻は教会の多くの兄姉からの手紙を携えて来てくださり、私の返事の手紙を教会へ届けてくれました。


(5)見舞・献金、コイノニア、交わり
多くの方々から、心のこもった見舞を受けとり、励まされ支えられました。それは、まさに具体的な深さと広がりを豊かに含むコイノニア・交わり(Ⅱコリント8章1−15節)。
恵みと愛に対する私なりの応答は、今後祈りつつみことばを分に応じて宣べ伝えて行くことに集中をする一事ではないかと思い巡らしています。

(6)二つの集会
3月5日(金)午後2時、大浜第一病院のレストラン予約席で、幸いな読書会を開くことができました。
私の主治医伊志嶺真達医師は、毎朝のように病室を訪問くださり、時間的制約の中、実に心満たされる交流を重ねました。そうした中で読書会のため会場をアレンジしてくださったのです。
著作集Ⅰ『愛の業としての説教』中の「聖霊論の展開」を中心にした読書会。
多様な背景を持つ11名の方が集い、まさに私たち一同、生きた聖書的エキュメニズムを経験したのです。そうです。病院のレストランで。

3月22日(月)、石川福音教会で、「沖縄で、ヨハネに学ぶ」(ヨハネ14章15−117節)とのタイトルで、学びの会。この会は、元々2009年12月28日(月)に予定されていたのです。とこおが12月18日(金)私の脳梗塞発症、入院のため中止。
それにもかかわらず、入院中の外出の形で実行できたのです。
ヨハネ14章15−17節を、聖霊ご自身と主イエスとの関係、聖霊と三位一体との関係を注視しながら味わう意味で、3月5日の集会に結び付くもので、やはり特別な喜び。

[4] 集中と展開
(1)集中
4月2日(金)退院後も、なお課題が残ります。君代は、ライフ・センターを退職。私を助けて一緒に歩みをなす、新しい生活をめぐり導きを求めながらの前進です。
私の左手をはじめ、健康の支えも課題があり主のいやしと支えを求めながらの歩みです。そうした課題をかかえながら、改めて心の中に教えられるのは、Ⅱテモテ4章2節です。
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くとも悪くともしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」

(2)展開
4月18日(日)千葉県市川市の聖望キリスト教会の主日礼拝と午後の聖書味読会、
君代の同行を受けて。左手の不自由を含め、弱さをかかえてです。
お祈り頂きたいのです。
また、入院中、幾重もの主にある豊かな交わりの手段として用いられた祈り、電話、手紙、メール、面談などを用いて、私たち二人の日常生活の中で、みことばに仕えて行く思いを新しくしております。皆様に心よりの感謝しつつ。