『回顧と展望』

『回顧と展望』

★『礼拝の生活』再考の小さな営みを継続している中で、改めて営みを支える柱を確認しました。
 回顧と展望です。最もはっきり自覚し明示したのは、1986年沖縄へ移住してから最初のまとまった作業として出版して頂いた『申命記』「新聖書講解シリーズ旧約4」、1988の序文として書いた以下のものです。

申命記の味わいに先立ち」

(1)申命記の主題は何か
申命記の主題は何かと問う場合、モーセ五書の他の部分の関係と切り離して考えてはならない。創世記に見るアブラム、イサク、ヤコブへの約束(創世記十二1ー3、二十二16ー18、二十六2ー5、二十八13ー15など)、出エジプト記に示されている万民の中で祭司の民として立てられるとの約束(出エジプト記一九5)が、イスラエルの民が約束の地に入る事により、実現への重大な一歩を踏み出そうとしている。このような大きな流れの中で、レビ記は、神の恵みに応答する、幕屋を中心とした宗教儀式と神の恵みに基づく生活全般(礼拝の生活)の整えを記述している。民数記においては、約束の地を目指し荒野を旅するイスラエルの民の現実が描かれている。それらを踏まえて、今、申命記では、約束の地での新しい状況を見通して、神のことばが、しもべモーセを通して語られている。それ故、申命記の主題を、回顧と展望と見たい。
 回顧と展望。つまり、一章から四章で、ホレブからヨルダンの歩みを大きく一気に描き、五章以下ではその中の一点、十戒を取り上げ焦点を合わせる。このことにより十戒がどのような歴史的背景で与えられたかが分かり、歴史的背景を重視しながら理解する道が開かれている。
 更に二七章以下では、ヨルダン渡河後の生活への準備、特に指導者の継承の備えがなされ、モーセを通して与えられる命令は、未来と堅く結び付くのである。
 このように申命記は、モーセ五書の最後に位置し出エジプト後の歴史を回顧すると同時に、ヨルダン渡河後の生活を展望することによりヨシュア記以下の歴史書に橋渡しをなす重要な位置を占めている。回顧と展望、これこそ聖書が示す基本的姿勢である。過去を無視する者は、未来をも見据えることができない。

(2)モーセ著作の否定とそれに対する反論 
申命記モーセ著作を否定する根拠の一つとして、一章一節の「これは、モーセがあヨルダンの向こうの地」との表現に見るように、既に約束の地に入った者の視点で書いており、約束の地を望み見るモーセが書いたのではないとの指摘がある。
 更に、十二章四節以下、特に十三節に注目し、そこでは「全焼のいけにえを、かって気ままな場所でささげないように気をつけなさい」と、かって気ままな場所でなく、一つの場所で犠牲を捧げることを強調していると見る。このように一つの聖所が強調されるのは、モーセの時代ではなく、もっと後の時代の状態を反映しているとし、列王記下二十二章三節から十三節でヨシア王の時代主の宮で見付かったとされている律法の書(申命記)は、実はこの時代に書かれたとの理解がなされる。つまり所々各所にある祭壇を壊し、一つの聖所とするため、申命記が書かれたと言うのである。
 しかし申命記モーセの著作を主張する伝統的な説も、強力である。この説に立つ者は、十二章についても、ここでは一つの祭壇だけが認め、他は一切認めないと言う数が問題なのではないと見る。中心は、今まであったカナン宗教の聖所をそのまま用い、その儀式を踏襲してはならない、つまり、「カナン宗教に影響されるな」の一点なのである。申命記エルサレムがただ一つの聖所と主張しているとする根拠は薄いと考えられる。
 もう一つ重要な点がある。申命記モーセの時代ではなく、後代のヨシア王の時代に書かれたとすれば、その時代の問題、課題が直接取り上げられている筈である。例えば、エノク書の例に見るように。エノクの著作と主張するこの書が、エノクが書いたものでないことは明らかである。エノク書が実際に書かれたと考えられる紀元前200年頃の課題がエノクの名を用いて語られている。そこに取り上げられている内容は、エノクの時代と合わない。ところが申命記の場合は全く違う。どこを読んでも描かれていることは、約束の地カナンを目指す事態の事柄である。例えば、アモリ人の滅亡の記事。これは、後代説が主張するヨシア王の時代である紀元前700年頃には、全く問題になっていない事柄である。偽作の場合、著者として古い昔の人物が登場しても、対象となる読者を過ぎ去った昔の人々とする事はない。申命記の記事で取り上げられている事柄は、イスラエルの民の約束の地入国以前にしか問題にならないものであり、モーセの著作性は簡単に否定出来ない。

(3)構造 
 申命記は、全二千年期後半のヒッタイトの大王と小王の契約(宗主権条約)との類似性を持つ形式に従い(M.G.クライン『大王の条約』、K.A.キッチン『古代オリエント旧約聖書』参照)、最初から最後まで十分考え抜かれて、他の同時代の文献とは区別されるユニークな内容・メッセージが書かれているとの理解に私たちは立つ。それ故、以下の統一的流れを見通しつつ、各部分を味わう努力を払いたいのである。
一 序言: 契約の当事者神ご自身とイスラエルの民、仲立ちとしてのモーセ(一章1節から5節)
二 歴史的前置き:契約の歴史(一章6節から四章49節)
三 契約の民としての内的整え(五章1節から十一章32節)
四 契約の民としての外的整え(十二章1節から二十六章19節)
五 契約の批准(二十七章1節から三十章20節)
[六]契約の継続(三十一章1節から三十四章12節)