『「讃美礼拝を終えて―今年の恵みと来年への期待―」礼拝の生活』再考その69

971年12月26日
『礼拝の生活』69号

(巻頭言)「讃美礼拝を終えて―今年の恵みと来年への期待―」 

 12月19日の讃美礼拝を終えた今、いくつかのことを考えさせられています。
 まず全体と個の関係については、先週の『礼拝の生活』に書いたことをさらに押し進めて、私たちの群れの歩みの中で体験して行くべきです。
キリストの教会として私たちが生き続けようとする限り、全体と個の関係は、常に私たちの前にある実に大きな課題なのですから。
 
 今年の讃美礼拝の恵みの一つとしてあげるべきことは、やはり奥多摩から十数名の子どもたちが参加できたことです。
主日午後、犬塚修兄(現日本バプテスト連盟ふじみキリスト教会名誉牧師)が指導し、奥多摩の生活会館で集まっている子どもたちです。奥多摩町の福音宣教のためには、私たちが知っている限りでも、二十年来の祈りが献げられてきていることを忘れられません。また、あの元気な子供たちの賛美を聞いていた私たちの心の中に、奥多摩においてどのような方法かで大人の集会が開かれるようにとの祈りが、より強く満たされました。
 
 さらに、来年の讃美礼拝には、小作地方からの参加者が多く加えられるようにとの期待が、誰の心をも満たしていた事実を知らされます。点から線への広がりは、何よりも、唯一の・生ける・真の神を賛美する礼拝共同体の広がりなのです。

 クリスマス特別献金を沖縄の八重山福音教会のために捧げることができたことも感謝でした。二万円を送金することができました。この献げものが、八重山における福音宣教のために豊かに用いられるように祈り続けたいものです。

 しかも、沖縄問題こそ、現代日本が直面している課題のすべてであることを深く自覚して、その現実から遊離することなく福音宣教が位置づけられていかなければなりません。 
今年の讃美礼拝の特徴であった教会学校の各クラス、また教会の各会ごとの賛美についても、恵みに感謝しつつ、新しい期待に満たされます。
 
幼稚科については、もみの木幼稚園の働きで着実な実が結ばれつつあります。特に、お母さん方の参加が目立ったのは大きな恵みでした。
同時に、やはり、教会学校の幼稚科としてのはっきりした性格が形をとりはじめていることも喜ばしい点でした。
幼稚科が、もみの木幼稚園以外の子供たちの参加を迎えられるかどうかは、今後の大きな課題でしょう。
小学校の各クラスについては、男子の参加が目立った点は、本当に感謝なことでした。幼稚科からの受け入れ体制と共に、中学クラスへの結びなど今後の課題であり、期待です。
 
中学生クラス、昨年までのことを考えれば一番大きな変化と言えます。
参加した十数の中学生が各自がはっきりと個人的な信仰告白と生活を確立し続けることの中に、青梅キリスト教会の将来がかかっていると見ても大きな誤りではないでしょう。さらに祈り続けるために、大きな励ましまた慰めでした。
 
青年会は、教会の中核として今後さらに大きな期待がかけられます。男子青年へいかに福音を伝えていき、彼らの信仰生活が豊かに成長していくかの課題と共に。
 
教会婦人会の充実な成長も、本当に感謝です。出席した多くのお母さん達が教会婦人会に参加できたら、どんなに幸いでしょう。

壮年会、シメオン・アンナの会が、来年の讃美礼拝に参加できるように願っています。

八重山福音教会の会堂が台風のため大きな被害を受けたとのニュースが伝えられたことを契機に、沖縄の教会と私たちは直接な連絡を取ることが出来ました。
後に1986年家族で沖縄に移住する道は、思いもよらない事態で準備していた東京キリスト教学園への専従の道が閉ざされ、ほかに行く所がなかったからと見えました。
 しかし主の摂理の御手は、その十数年前から確かに私の心を導いて下さっていた恵みの事実を、今ははっきり認めることが出来ます。

 1970年代以降の日本新約教団の歩みは、八重山福音教会など沖縄の教会との関係抜きに考えられません。

 ですから首里福音教会の講壇から私を今遠ざけている人物などが、八重山教会の存続を潰す動きをするのは、私の見地からすれは、とんでもない話なのです。