「聞く、聴く」 『礼拝の生活』再考、その48

1971年6月27日
『礼拝の生活』48号

(巻頭言)『聞く・聴く』
 6月第一主日の礼拝以来、前奏から後奏まで礼拝全体をカセットテープに吹き込むことが、役員会で決定され、現に実行されています。
 
集会の様子、特にメッセージをテープに吹き込むのは、小沢蓉子姉の場合のように、今までも個人的にはなされ、大きな役割を果たしてきました。
しかし教会として公になし続けることは、新しい試みです。病気などでどうしても主日礼拝に出席できなかった場合など、テープを通して主日礼拝に参与できるわけです。また、週日にテープを聞き返すことによって、礼拝の生活を充実、徹底の助けになるように大いに期待されています。
 
先日、吹き込まれた主日礼拝のテープを聞きながら、とても大きな恵みを与えられました。牧師は、語る者である前に何よりも聞く者、神の言葉に聞く者として生かされている事実を、改めて深く自覚させられました。私たちキリスト者にとって、聞くことを忘れて、語ること行動することが、どんなに恐ろしい誘惑であるかをもう一度教えられました。
 
6月第一主日礼拝以来、前奏から後奏までテープに公に吹き込まれるようになったのは誰にとって必要である以上に、私自身に必要であることを痛感したのです。
 今後、カセットテープを、私たちの置かれた立場で、さらに創造的に利用していくことは、読むということと同様、私たちの信仰の基盤となるべきことですから。

★1971年から40年、テープは、個人的な歩み、宣教活動においても大きな意味を持ち続け、増し続けています。

讃美歌を中心としたテープに耳を傾けながら各種の作業を営む、すっかり定着しています。

宣教活動については、1986年4月の首里福音教会牧師就任を決断した際、その準備の一つとして、そのために備えた主日礼拝説教テープを、月に一度2年間送り届けたことが忘れられません。40年後その説教が、新たな意味を持ってきています。

もう一つは、首里福音教会から宇都宮キリスト集会へ送られた説教テープです。
1999年から2004年3月では、首里福音教会主日礼拝説教のテープを、2004年4月以降は、そのために特に用意をしたテープを送付し続けてきました。

 みことばに堅く立ち生きる宇都宮キリスト集会の兄姉の歩みと説教テープとは、切り離せません。かくて保持された説教テープは、宇都宮キリスト集会の宝の山とのこと、感謝。