『礼拝の生活』再考、その47

1971年6月6日

『礼拝の生活』46号
「シメオン・アンナの会−第一回修養会報告−」
 1971年5月30午後から31日の午前中にかけて、シメオン・アンナの会第一回修養会が持たれました。場所は、青梅線鳩巣駅近くの国民宿舎鳩巣荘。四名の年配の方を中心に、八名が参加しました。

鳩巣荘は、美しい環境に恵まれた、実に素晴らしい場所です。奥多摩の山特有の急斜面に植えられた杉。杉の色と見事な対比をなす岩。岩間に流れる多摩の清流。部屋からこれらすべてを、一目で見ることができます。景色をながめながらおしゃべりをし、おふろに入り夕食を頂き ゆっくりした気持ちで夜の集会を迎えました。
 
夜七時半からの集会では、使徒の働き三章から、「キリストの御名」の意味について、青梅キリスト教会の前任牧師・雨宮先生が話してくださいました。
人生において、何に根本的なよりどころを見出すべきかよく教えられました。
聖書の学びにひき続き、誰が言い出すともなく、讃美歌を歌い始めました。それぞれの讃美歌についての思い出や感想を語り合いながら、次から次へと賛美を続けました。実に、恵まれた時でした。なんと十時の消燈時間まで、讃美歌を歌い続けたのです。
 
翌朝は、山と岩と清流を見ながら散歩、すがすがしい空気を充分に吸った後で、朝食をいただきました。そして新鮮な気持ちで、聖書を学び始めました。ルカの福音書二章から、シメオンとアンナの生き方について宮村が話しました。集会の終りに読んだイザヤ書40章、特に31節が忘れられません。

「しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」

 シメオン・アンナの会第一回修養会は、小さな歩み。しかし大切な一歩でした。

★I姉の貴重な役割
70歳以上の方々の集い・シメオン・アンナの会の出発から30数年、I姉が貴重な役割を果し続けました。
I姉は私より丁度10歳年上で、「私女中」と独特の自己紹介をなさる方。
青梅時代の主日礼拝と聖書研究会で私が話した内容をほとんど文字どおりに書き留め、次の週に清書したものを手渡してくれたのです。十数年間書き続けられた、かなりな枚数を、私は青梅から沖縄まで持ち運んでいました。
 これらは、青梅や沖縄での執筆活動のため、小なからむ助となりました。

 同様の徹底したシメオン・アンナの会のための支えを、I姉は、ご自身がかなりの高齢になるまで継続なさったのです。
 様々な下働き的雑事一切に加え、『シメオン・アンナの便り』を不定期に謄写印刷で出し続けたのです。長年手元に保持していたファイルを紛失してしまったのは、2006年4月以降の困難な時期の数少ない苦い思い出です。
しかしその欠如は、I姉の貴重な役割を覚え、御名を崇める感謝を奪うことは出来ません。