「頑張る」と聖書の「忍耐と希望」

「頑張る」と聖書の「忍耐と希望」
40代後半のI兄と70代の私が、メールと面談の二本柱で、風変わりな聖書の学びを開始し継続しています。

 たとえば、開始後間もなく、以下の興味深いメールを受け取りました。

「・・・
5月30日の代々木オリンピック記念青少年総合センターでのアッピール、頑張ってください。
「頑張る」という言葉は、頑張っている人に言ったら失礼になるのであまり使わないようにしていました。
また「頑張る」という言葉は聖書にはないそうですね。1年ほど前だったと思いますが、そのことを聞いて益々「頑張る」という言葉の使い方を慎重にしていました。

しかしやっぱり、使ってしまうんです。ここぞという時、他に言葉が思い浮かばない時に使ってしまうんです。

その理由が今年になってわかりました。ある番組を見て。
昨年の東日本大震災の時、ドイツからある家族(両親と娘の3人家族)が初めて観光のため来日し、宮城で被災。津波に会い、溺れる寸前に見知らぬ日本人に助けられたそうです。

その家族は誰も日本語が話せません。当時は通信手段も断たれ、どうにかドイツ大使館に電話がつながった時には、ドイツ大使館スタッフは東京から逃げていて頼れず。
結局、異国の地でその家族は、孤立した状態になりましたが、多くの見知らぬ優しい日本人たちの助けにより、1週間後位にドイツに無事帰国できたそうです。

そのドイツに帰国できるまでの間、多くの見知らぬ優しい日本人たちがその家族に掛けた言葉が「頑張れ!」だったそうです。
当然、その家族は「頑張れ」の意味がわからなかったのですが、あまりにも行く先々、いろいろな人たちに言われたので「神様のご加護がありますように・・」というような「祈りのことば」だと思い、励まされ、救われた・・・
という内容の番組でした。

自分が人に対して「頑張れ」と言う時の心情は、祈りに近いものが確かに
あります。「頑張れ」=「祈る気持ち」の表現だったと気づきました。
(間違っているかもしれませんが・・)

そういう意味で、5月30日の代々木オリンピック記念青少年総合センターでのアッピール、頑張ってください。

感謝です。
IJ

 このメールへの応答として、『日本語語感の辞典』の「がんばる・頑張る」の項を確認しました。
「苦労をいとわず苦痛にも耐えて一所懸命に努力する意」と説明されています。
用例として、
 最後まで頑張る。
 優勝をめざして頑張る。
 期待に応えられるよう頑張る。

以上、頑張るには、目標・希望へ向けての側面を見る。
また苦労をいとわず苦痛にも耐える忍耐の側面を確認。

 これは、私ども夫妻の生活・生涯の聖句、ローマ8章25節に通じると判断します。
「もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。」
 そうです。忍耐と希望。1967年生まれの私たちの長男の名前は、忍望!

 IJ兄との学び、楽しくて、楽しくて。