『礼拝の生活』再考、その45

1971年5月23日
『礼拝の生活』44号
 
(巻頭言)「小作地方と奥多摩町への宣教」
 
最近の祈祷会において、小作地方と奥多摩町への宣教が祈りの課題として、しばしばあげられています。これらの祈りの課題は実に大切で重要なものです。
 
青梅キリスト教会が、第一に青梅市に住む人々への宣教の使命を与えられている、これは確かなことです。
しかし、宣教の使命の範囲は、青梅市に限定されているのではなく、少なくとも青梅市を中心とした西多摩全体に対するものであることを、決して忘れてはなりません。
 
ですから、ラップ宣教師を通して小作地方で開拓伝道が開始されようとしている今、青梅キリスト教会全体として、この開拓伝道を深く理解し協力していくか、真剣に問われなければなりません。どのようにしてラップ宣教師は、青梅キリスト教会から派遣される宣教師でもあることができるのか、これは大きな課題です。青梅線に沿って、立川に向って幾つかの姉妹教会が形成されていく幻の第一歩が実現されようとしているとき、教会と宣教の根本的関係を私たちの間で深く理解し、協力を現実化していくことを心から願っています。
 
小作地方への宣教と同時に、奥多摩町への宣教に対する深い関心が私たちの間で起こりつつある事実を心より感謝しています。現在、奥多摩町には一つの教会もありません。こ現実の中で、私たちも責任は大であります。青梅線に沿って、二つの異なる方向に向かって目を向けながら青梅市での地味な宣教活動を、一歩一歩続けていきましょう。
青梅キリスト教会として。その枝である各自として。

奥多摩、昨日の恵み、明日の恵み
2011年12月18日(日)、日本福音キリスト教会連合 奥多摩福音キリスト教会で、久しぶりで宣教を担当しました。秋9月30日に、『三十周年記念誌』を奥多摩福音キリスト教会から受け取りました。そこで以下のファックスを送りました。
「頌主。本日は、貴重な記念誌を恵送−しかも速達で−くださり、心より感謝します。
ハルム宣教師ご夫妻、大通ご家族との交わりやあの当時の恵みを共に感謝すべく、大通俊雄・静子ご夫妻を訪問したく願っています。制約の中にありますが。・・・」

前日12月17日(土)から、君代と二人で奥多摩福音の家に宿泊をとお招きを受けており、楽しみにしていました。
しかしその17日の早朝に、虎ノ門病院で長く入院していた妹嶋崎恵美子が63歳で召天しました。
 君代は、10年前に父親も同じく肺がんで亡くしている二人の姪を、終始一緒にいて支える必要があり、私と一緒に17日から奥多摩に来ることが出来なくなりました。
そこで、IT関係の仕事で多忙な末子・新に無理を言って奥多摩まで同伴してもらったのです。17日の夜は、新と久しぶりで話し合え感謝でした。

12月18日、実に恵み一杯の主日礼拝でした。
聖霊ご自身の導きを実感しながら宣教を続ける私の心には、幾つもの思い出が満ち溢れてきました。
青梅に住居を構え、奥多摩の福音の家の働きの基盤を据えていかれたハルム宣教師ご夫妻との幸いな交わり。子供たちは、青梅キリスト教会付属のもみの木幼児園に入園してくれました。
とき満ちて1981年9月27日、福音の家の一室で、奥多摩福音キリスト教会の教会設立礼拝が持たれ、青梅キリスト教会からも4名が参加、感謝な出発でした。同年12月19日、特別伝道集会で宣教。
1986年4月1日に沖縄へ移住する直前の2月9日にも、信徒修養会で宣教などなど。

この30年の恵みを目に見える姿で体現する、大通ご家族ご一同。そしてそれぞれの時に、各自に即した主の恵みのお取り扱いを受け、群れに加えられた礼拝出席者の一人ひとり。礼拝後の集合写真は、恵みの証そのものでした。 
  
 12月18日奥多摩福音キリスト教主日礼拝を中心に主の交わりが深められ、実に感謝でした。しかしそればかりでなく、福音の家に避難しておられる福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師、佐藤副牧師などと交わりは大きく広められました。
 君代の母教会・岩手県北上聖書バプテスト教会の開拓者ホレチック宣教師ご夫妻は、北上の前に、福島第一聖書バプテスト教会の開拓をなさったのです。
 佐藤先生から貴重な三冊の著書とCD頂き、召天なさって久しいホレチック宣教師ご夫妻を、奥多摩との絆でも深く覚えたのです。

 確かに奥多摩、昨日の恵みです。しかしなおこれから明日の恵みへの展開です。