『礼拝の生活』再考、その38

1971年3月21日
『礼拝の生活』37号

(巻頭言)「二十一名」 
 3月18日午後1時より、もみの木幼児園の第二回卒園式が持たれ、21名の子供たちが元気に卒園していきました。
 この数週間、21名の子供たち一人びとりの尊さについて特別考えさせられて来ました。21名の一人びとりが、それぞれに個性や才能を与えられているばかりでなく、各自の存在そのものが、神の賜物である事実を、もう一度味わったことです。
 

 今、こうして、21名の子供たちの卒園にあたり、この二年間のもみの木幼児園での生活が、彼らにとって何を意味したのかと自問しています。
 また子供たちが、小学校入学後受けていく長い期間の教育との関係を特に考え合わせて、箴言の有名な言葉を思い出しております。
箴言1章7節に、「主を恐れることは知識の初めである」とあります。
万物の創造者、唯一の、生ける、真の神を礼拝し従い生きることは、人のあらゆる知識の土台です。21名の子供たちは、過去二年間、この小さな幼児園で、主を恐れる、すべての知識の土台を学び続けてきました。
今後さらに彼らが受けていくすべての教育過程において、もみの木幼児園で与えられた土台の上に、立派な建物が打建てられていくように、祈り続ける責任を与えられています。
 
 すべてを飲み込んでしまう現実社会の一見捉えどころのない巨大さや空しさに圧倒されがちな私たちです。
しかし21名の子供たちの未来を考え祈る時、主なる神の恵みの確かさの故に、大きな希望に満たされます。21名の上に祝福を切に願います。

★「それぞれに個性や才能を与えられているばかりでなく、各自の存在そのものが、神の賜物である事実を、もう一度味わったことです。」と、頭をたれる31歳の宮村武夫と73歳の喜びカタツムリが、静かにしかし心を込めて握手しています。
 一貫性と進展性、二つにして一つ、一つにして二つの恵みの事実です

 あの二十一名、今や当時の私よりもはるかに年配、40代の後半の日々を過ごしている事実を厳粛に覚えます。
今、「礼拝の生活」を再考しているように、二十一名と再び連絡をとり、各自について一貫性と進展性、二つにして一つ、一つにして二つの恵みの事実を確認する責任と特権が私にはあるのではないか。
各自、そうです、吉沢まこちゃん、井竹よっちゃん・・・