遠藤隆吉の喜びの涙を見る思い

午後5時に閉まる真間郵便局へ、杖をつきつき時計を睨みながら、カタツムリの歩みを続けていると。反対の方向から私のほうへ向けて、やせ方の中年と6,7名の男子青年が、タバコの吸殻を中心にごみを拾いながら来るではありませんか。
 近づいた時に言葉をかけ尋ねてみると、やはり千葉商科大学の学生方。確認できなかったのですが、ゼミの指導者とその学生との雰囲気で、そう推察しました。

 千葉商科大学の創設者・遠藤隆吉に、昨年5月市川へ移住してから出会い、幾つかの理由で、とても惹かれています。二つの点だけ報告します。
(1) 内村鑑三と同じ、群馬(前橋)の出身。1874年生まれ。
 内村の論敵井上哲次郎の愛弟子と言われるが、「キリスト教に対しては、隆吉は井上のように熱烈な反キリスト教徒ではなかった」(蝦名賢造、『遠藤隆吉伝』、西田書店、65頁)

(2)『遠藤隆吉伝』の著者、蝦名賢造が、『隅谷三喜男』(西田書店)を書いている事実。
 
「遠藤隆吉の喜びの涙を見る思い」とまで書いたのは、実は丁度昨夜、以下の文章の添付を師匠から受けていたのです。
「贖罪的な生き方

H先生と話をしていると、以前から「贖罪的生き方」ということばをしばしば口にされる。最初に聞いたのは、確か、一昨年の初秋、房総半島に向かうバスの中、賀川豊彦の話をしていたときだった。
 「贖罪的な生き方」。わかるような、わからないことばなので、先日、掛川で会ったとき「それは具体的にはどういうことなんだろう?」と質問してみた。そうしたら、「わかりやすくいえば、他人が落としたごみを、自分には関係ないとは言わないで、自ら進んで拾う、そういう生き方ですよ。」と教えられた。
 なるほど。キリストの御足の跡をたどるなどと美しく表現されるけれど、それは具体的に一言でいえば、他人が落としたゴミを進んで拾うそういう生き方だといえるのだろう。主イエスは私たちの落とした罪というゴミを一身に引き受けてくださったのだから。・・・そういえば、とくにこの二年間、H先生には私の落としたゴミをたくさん拾ってもらったっけ。確かになにも文句もいわずに拾ってくださった。
「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」1ペテロ2:22-24 

昨夜の文章と今日の午後の見聞が一つとなり、思わず、
「遠藤隆吉の喜びの涙を見る思い」とあいなりました。