宇都宮キリスト集会からの便り・広義の牧会を求めて

宮村先生
 いつも電話でお祈りとお話しを感謝いたします。
 集会主日の宣教は12年前2000年の「ピレモン」(私たちが先生にテープによる礼拝宣教の許可を求めた最初の宣教箇所であり、カトリック松が峰教会の合同祈り会の第1回で流したテープ箇所です)。祈り会の学びで申命記は24年前発刊の1988年「申命記」を続けています。先生の著書の顔写真もテープの声も若く、私たちもちゃっかりと自分の若いときの顔のつもりで聞いております。いきいきと語られる先生の声を通しての御言葉は、今のときの生活の日々の家庭や仕事、震災、原発、為政者等のあらゆる問題に関する私たちの立場を明確に立たせてくれる要となっています。学びのときは優秀な愛する兄弟姉妹たちが、やはり青年たちのように発言し互いに学びあいます。牧師が何を言わんとしていたのか、何とか後についていこうと活字も言葉も一字も一言ももらさずに頭にいれようと……。主の御言葉による導きの成長が見えるときでもあり圧倒される思いです。行き場のなかった小さな集まりが主の憐れみと恵みによってここまで導かれたことを忘れずにいます。
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 さて、本日、今年になってから4月までの3ヶ月分の仕事の出版物を宅急便にてお送りいたしますのでご査収のほどよろしくお願いいたします。まだまだ未熟者(言葉とおりで自分が一番わかっています)ですので、ぜひ、牧師としてのご意見ご指導ほどよろしくお願いいたします。
 祈り会で、君代夫人の健康が守られますようにお祈りいたしました。
先生と君代夫人のお働きと健康が守られますように、心からお祈りいたします。
主にありて
SM

★徹底した聖霊信信仰、徹底した聖書信仰の私なりの確立のため、宇都宮キリスト集会との交わりが一つの大切な支えとなりました。
 小さなテープや携帯電話を通しての「もっぱら祈りとみことば」(使徒6章4節)による牧会。
 さらに敬愛する中嶋聡兄が、以下のように要約してくださっている、広い豊かな牧会の実践を目差すこと許されています。
「宮村先生は首里福音教会牧師時代、私たち教会員に、『持ち場立場でのそれぞれの活動が牧会である』と言われました。みことばに堅く立ち、それぞれの現場を大切にし、現実現場に即してものを考えようとする姿勢です。
 ご自身の持ち場・沖縄を人一倍愛しつつ、曖昧な妥協を嫌い、先入観にとらわれずに社会や歴史を判断する強さをお持ちです。そんな先生の著作集に心から期待しています。」

 中嶋兄は、なかまクリニック院長、宮村の主治医でした。また宮村の牧師であった教会の教会員であり役員、何よりも神の御前における、人間と人間の20年以上にわたる交流。
 牧師の役割の一つ、しかも重要な一つは、教会員各自が牧会できるような説教を、主日礼拝を中心に語り続け、結実を見ること。
 条件が悪いと見える宇都宮キリスト集会で、小さな実践を進めること、大きな恵みと感謝しています。