『礼拝の生活』再考、その19

1970年10月11日
『礼拝の生活』第18号

(巻頭言)「臨時総会を終えて」
 10月4日午後臨時総会を終えることができました。
(イ)上半期の感激と反省、
(ロ)下半期の展望、
(ハ)宗教法人化について、
(ニ)会計報告と補正予算などが中心的な議題でした。
臨時総会を終えた今、新しい思いで、下半期の歩みを私たちは始めようとしています。

 ところで臨時総会の準備の時から、総会の最中、また総会の終った今も、常に心を占めている一つの課題があります。
それはとても単純なものです。教会全体と個人の関係です。教会はキリストの生ける体です。教会の最も際立った特質は、聖書を通して主なる神の意思を聞き、聞き知らされた神の御旨に従って生き従い続けて行く、この一事です。
 しかもこの共同体は、私たちお互いによって構成されているわけです。私たち個人は、キリストの生ける体である信仰共同体から切り離して、真に生きることは不可能です。また教会が、真にキリストの生ける体・信仰共同体である限り、構成員一人ひとりが決定的な重要な意味を持ち、一人の喜びが全体の喜びとなり、一人の悲しみが全体の悲しみであり続けます。
 そこで、青梅キリスト教会の課題は、信仰共同体の一人をも見失うことなく、同時に各自がキリストの体の肢体として生かされている事実に目覚め続けることです。その時、現実の青梅キリスト教会を通して世界の教会に連なり、各自が真に人間として生かされます

★ 教会総会の事務的課題を着実に取り扱って行く中で、青梅キリスト教会における個と全体の課題を明確に意識している事実が重要であると改めて確認します。
 1970年代、東京キリスト教短期大学の授業で出会った学生方が、今も証言してくれています。「個と全体」の関係の重要性について私が盛んに強調していたと。
 この教会と大学で、全く同じく「個と全体」の関係について強調していたのは、三位一体なるお方からすべてを認識する渡部公平先生から学んだ信仰の種の小さな発芽であり、その後40数年この道を歩み続けてきた恵みを感謝します。

 地域教会において、三位一体なるお方の恵みにより個と全体の関係をめぐり導き生かされる中で、「各自が真に人間として生かされる」との希望と確信は、マルコ2章23−28節に基づく最近の宣教にも通じます。