2012年4月29日(日)、恵みの一歩

昨日聖望キリスト教会の主日礼拝、午後の味読・身読会を終えた後で、なお小さな集まりを始めました。
 そうです。IJさんと二人の集い。一人では、どんなに頑張っても集いにはなりません。
しかしIJさんと私の二人、立派に集いです。これ以上小さくなれない、少し風変わりな洗礼準備会。

 昨年5月に千葉県市川に移住以来、聖望キリスト教会の方々と一段と親しくなりました。
それまで15年間、毎年4回沖縄から訪問、主日礼拝で宣教と午後聖書の集中的有機的な学びのときを担当し続けた幸いな経験が確かに土台となっています。その上での交わりの深まりです。
 たとえばIJさんに対する、美しいロシア人の妻Oさんの篤き祈りに身近に接して感動するばかりでなく、彼が江東区大島7丁目の出身だと知り、驚きすっかりうれしくなりました。
 江東区大島の一丁目でも二丁目でも、また5丁目でもなく、まさに江東区大島7丁目に、
父の会社の貯炭場があったのです。江東区大島7丁目がIJさんと私をきっちり結び付けたのです。
 
高校生だった私が3月にキリスト信仰に導かれた夏、当時小岩アッセンブリー教会では、各地に伝道会を持つ計画を立てました。そこで私は万代先生に相談したのです。その結果、広々とした貯炭場の一角に教会が天幕を立て天幕伝道をする許可を父は与えてくれました。
 
この4月1日に小岩の礼拝でよき交わりの時を与えられた矢野繁子姉は、あのとき天幕伝道に出席し、キリスト信仰に導かれたのです
 矢野姉など天幕伝道で導かれた方々が、当時神学生だった現川崎中央福音教会の佐藤昭雄先生に導かれ集いを継続、現在の大島キリスト教会へと恵みの歩みを進めたのです。
 IJさんは、子供の頃、大島キリスト教会の招きを受け、その前後のことをよく覚えておられると話されるではありませんか。

 50数年前の天幕伝道が、昨日のようです。
しかしそればかりではありません。
IJさんにとって事務所の所在地であった門前仲町、その門前仲町が姪夫妻の事業の場として私にとっても特別である事実を確認しながら、いつしか50年後の門前仲町を、明日のことのように受け止めている二人でした。確かにちょっと変わった洗礼準備会、それでも恵みに満ちた一歩。