1章の聖書各書①

★聖書の集中的、有機的学びを願い、主日礼拝と昼食の交わりの後、味読・身読会を持っています。
 釣った魚ではなく、魚の釣り方の提示を願っているのですが。

           オバデヤ書              
                     2012年年4月29日(日)午後
                 聖望キリスト教会 聖書味読・身読会
[1]序
 今回の1章の聖書各書を取り上げた目的。
小さいもの・短いものを軽視したり、まして無視しないため。
 さらには66巻どの書も神のことばとして統一性を持つ聖書が、
同時に内に含む豊かな多様性の一端を味わう機会として。

[2]オバデヤ書、何が(主題)、いかに(展開)
(1)主題は、唯一つエドムについて。
1節、「 オバデヤの幻。
   神である主は、エドムについてこう仰せられる。」
 
 エドムは、ヤコブの双子の兄弟エソウの子孫とされる人々で、歴史を通じイスラエルとの間に、緊張関係が続く。特にイスラエルがバピロンに滅亡させられた際、エドムの態度(10,11節)が問題とされる。

(2)いかに(展開)
 二つの大きな柱
エドムの滅亡、2−15節
 2−15節、特に15節に注意。
「【主】の日はすべての国々の上に近づいている。
 あなたがしたように、あなたにもされる。
 あなたの報いは、あなたの頭上に返る。」
後半で直接描くエドムの滅亡が、前半に見る「すべての国々」また「主の日」との関係(視点)から見られています。

②主の日(終末)におけるエドム、16−21節
エドムへのさばきは、エドムだけに対するものではない。
 16節に注意、
「あなたがたがわたしの聖なる山で飲んだように、
すべての国々も飲み続け、
飲んだり、すすったりして、
彼らは今までになかった者のようになるだろう。」

 すべての国々に対して「王権は主のものとなる」(21節)と、時代や場所を超えた神の主権・統治が宣言されています。
 主なる神の全世界に対する統治・神の国の一部としてエドムへのさばき。 

[3]オバデヤ書、なぜ(意図)、このことをこのようにかたる目的・メッセージ・ 
 エドムの悪や不法が放置されず、神の審きはなされる。正義の神の統治をあなどることは許されず、またあきらめたり絶望してはならない。

 単に、今の時点の、またエドムとイスラエルの関係だけでを見て、復讐の繰り返しを続けてはいけない。
 「主の日」、「すべての国々」の視点。

 何と言っても、「王権は主のものとなる」(21節)との希望の宣言、約束。

[4]集中と展開集中 
 聖書がどのように多様に見えても、全体を貫き、全体の基盤である統一性をしっかり見続けていく。
1テモテ3章16,17節
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」

展開
同時に、聖書の多様性を大切に。
ヘブル1章1節、一度にすべてではなく。
「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、」
「同時に」の恵み。