『ヨナはぐっすり寝込んで』

★聖望キリスト教会宣教牧師として、毎月第4主日礼拝は、拙宅・市川うちな−んちゅの部屋の隣接、聖望キリスト教会の会堂で宣教。
 昼食の交わりの後は、聖書味読・身読会と徹底的に聖書を中心とした交わり、感謝。レジメを紹介します。

                           2012年4月29日
                     聖望キリスト教会 主日礼拝
                     ヨナ書1章1−6節 
       『ヨナはぐっすり寝込んで』
[1]序
 御父、御子、御霊、生ける三位一体なる神の御名を讃美します。
(1)なぜ今回ヨナ書
新約聖書コロサイ人への手紙の後は、旧約聖書ヨナ書。旧約聖書新約聖書の全体を。
ちなみにヨナ書の後は、新約聖書Ⅰペテロの手紙を予定しています。お祈りください。

旧約聖書の中でも比較的親しまれているヨナ書は、実は預言書の特徴をよく示しています。ヨナ書をしっかり受け止めることを通して、大小の預言書の味読・身読に道が開かれますよう、今後にも期待し祈り備えます。
 預言書の特徴はなにか、毎月の宣教を通し浮き彫りにされ心に刻まれますように。

(2)どのような歩調で
ヨナ書4章の各章を2回づつ、4月から11月の第4主日礼拝はヨナ書に聴従。
①4月29日 ヨナ1章1−6節、『ヨナはぐっすり寝こんで』
②5月27日 ヨナ1章7−16節『私・ヨナ、創造者を礼拝する者』
③6月24日 ヨナ1章17−2章10節①、『主は、・・・ヨナは』①
④7月22日 ヨナ1章17−2章10節②、『主は、・・・ヨナは』②
⑤8月26日 ヨナ3章1,2、10節、『再び主のことばがヨナに』
⑥9月23日 ヨナ3章3−9節、『ヨナは主のことばのとおりに』
⑦10月28日 ヨナ4章1−11節①、『怒って主に祈るヨナ』
⑧11月25日 ヨナ4章1−11節②、『備え、惜しまれる神』
12月23日は、クリスマス伝道礼拝とも言うべき時、頂点です。
 あの家族、友人、知人のため祈りつつヨナ書の味読・身読を継続、そして12月23日を。

[2]ヨナ1章1節 
 「アミタイの子ヨナに次のような【主】のことばがあった。
 主のことばが終始中心。
(1)「アミタイの子ヨナ」
 主のことばは、生ける神から、時と場所に生きる人間・ヨナへの呼び掛け、またヨナから神への応答の両方向、両面を持つ恵みの出来事。そうです、『神から人へ・人から神へ』。
 人間・ヨナは、そして今朝ここ聖望キリスト教会の礼拝に集う私たち一人ひとりは、本来神の呼び掛けを受け、神へ応答する掛け替えのない存在なのです。まさに存在の喜びです。
(2)「主のことばがあった」
 聖書において、ことばと出来事は切り離すことができません。
創世記1章3節
「神は仰せられた。『光があれ。』すると光があった。」
「光りがあれ」とのことばと「光りがあった」出来事・事実は一つで切り離せないのです。

 同様に、主からヨナへのことばと行為は一つであり、ヨナから主へのことばと行為は切り離せないのです。
ヨブ記は、主からヨブへのことばと行為、ヨブから主へのことばと行為全体を豊かに含む主のことばなのです。

[3]ヨナ1章5節 
 ここに見る水夫たちとヨナの姿は、実に対象的です。
(1)前半、「水夫たちは恐れ、彼らはそれぞれ、自分の神に向かって叫び、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。」、叫び、動き回る水夫たち。
後半、「しかし、ヨナは船底に降りて行って横になり、ぐっすり寝込んでいた」

(2)もう一つ、より根本的な対比に意を注ぎたいのです。
 今度は創世記2章21節が手引きです。
 「神である【主】は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。」
アダムが眠っている間に、神はアダムに対して驚くべき御業をなされたのです。
同じく、ヨナがぐっすり寝込んでいたとき、なお主の御業は進展しているのです。
 今朝、私たちも、詩篇の記者と主に向かって感謝の告白をしたいのです。
「 私の助けは、天地を造られた【主】から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、
 あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、
 まどろむこともなく、眠ることもない。」

[4]集中と展開
(1)集中
 真実な神の真実なことば→私たちのことばも、マタイ5章37節。
(2)展開、
 日常生活の中で出来事となることばを。出来事にことばを見出し聞き取る。