2012年4月1日、この日も恵み

4月22日、三鷹市国際基督教大学教会主日礼拝出席の恵みについて、昨日少し長い報告をいたしました。
実はその日に先立つ4月1日・新年度の最初の日にも、忘れがたい恵みを経験しました。
私たちの住まいのある千葉県市川市市川(面白い住所)の京成国府台(こうのだい)駅から、
江戸川を渡って二つ目京成小岩駅の近く、日本アッセンブリー・オブ・ゴッド教団小岩栄光キリスト教会の主日礼拝に君代と二人で出席したのです。
 
当日吉山宏先生は、午前中二度目の主日礼拝の宣教を、そうとは感じさせない自然な語り口で担当。会衆には青年や壮年の男性の姿が目立ちました。
 1955年3月一高校生としてキリスト信仰に導かれた私にとって、小岩教会は、一貫して母教会。借家に若い人々が中心に30名前後が集っていた頃とは、現在の教会の規模は大きく変わり、成長振りが印象的です。
 
確かに高校生だった私も今73歳、しかしあの頃と全く変わらない心で主日礼拝に出席しました。私だけでなく、同じく主日礼拝に出席された二人、私より一学年下の矢野姉と渋谷姉も全く同じであることがひしひしと伝わってきました。
主日礼拝後の食事の交わりも感謝でした。君代もあの当時からの高校生仲間のようになってひと時を過ごしました。

高校生の私たちを導いて下さった、万代恒雄先生の祈りを、改めて思い起こしました。
「年若い時に、神の尊い救いを味わった諸兄姉のこの体験が一生涯消えないことを祈ります」。
また万代先生は、高校生の私たちの心に畳み込むように勧めて下さいました。
「まず救われてみることだ、
 信じてみることだ。
 植物があっての植物学である、
人間がいるからこそ人類学がある。
 人類学が人間を造り、
 植物学が植物を生み出したのではない。
 救いがあって初めて救いの定義が、
あなたの心の中に生み出されるのである。」

京成小岩から国府台へ戻りました。当日もいつものように江戸川を渡って。
 1955年5月、この江戸川で私は洗礼を受けたのです。