2012年4月22日、恵み二つを覚えて

4月22日、三鷹市国際基督教大学教会主日礼拝出席。
当日宣教は、ポール・ジョンソン牧師、広い会堂の満席の会衆に向かい、
創世記11章1−9節から、『神に栄光あれ』と、なおも日本の今日的状況への宣教をなされました。
 主任牧師の永田牧師は、まさに会を司る司式を担当なされる。
 牧師三人・トリオのもう一人、女性の北中牧師は、「姉妹兄弟・・・」と祈祷。私と同じ母校だと直感しました。
 礼拝順序のほぼ真ん中に、報告と献金が位置しているなど全体の雰囲気が、懐かしいニューイングランドの教会の礼拝を思い起こしました。 

 礼拝後、礼拝堂から歩いての距離の学生食堂で、永田ご夫妻と私たち四人で心温まるテーブルの交わりを楽しみながら、二つの恵みの出来事を思い起こし心を熱くしていました。

 第一は、永田竹司先生の按手礼のことです。
1981年、プリンストンでの学業を終え、国際基督教大学での授業を開始して2年前後であったと記憶しています。永田先生が、高校生時代にキリスト信仰に導かれた一宮福音教会で按手礼を受けるとの報告を、当時青梅キリスト教会の牧師であった私は受け、喜び感謝して愛知県の一宮福音教会の式に駆けつけました。
 誤解を恐れないで言えば、素朴なあの按手礼こそ、その後40年近く(定年前最後の年)に及ぶ永田先生の国際基督教大学の教授であると同時に国際基督教大学教会の牧師としての一つにして二つ、二つにして一つの道の原点と私は理解します。
 永田先生の存在と歩みへの感謝はさらに広がります。
そうです、国際基督教大学教会が体現している大学教会と同時に地域教会としての姿と実践です。深い印象を受けました。

 4月22日、私の心を去来した第二のことは、永田先生と私の交わりに大切な要となっている、U兄のことです。U兄は、国際基督教大学教会の会員であり、私の高校の後輩です。
 U兄から、以下のメールを受け取ったのは、2010年6月25日です。
2009年12月に脳梗塞発症、3箇月の入院後、まだ様々な制約の中でリハビリ中心の生活もしていた頃です。
 それは、高校の同窓会誌の会員短信欄への私の投稿に対する唯一の応答。
 「宮村先生
 初めてメールを差し上げるご無礼お許しください。
 私は開成高校を平成2年に卒業したUMと申します。
 私は35歳のときに子供を亡くしたときにキリスト教に初めて触れて洗礼を受けました。それ以来、国際基督教大学教会の教会員です。多感な頃を過ぎてからの回心ですが、
聖書はもちろんのこと、キリスト教の本や文献が愛読書になってしまいました。
 開成会報「会員短信」を読み、開成のOBにクリスチャン、しかも牧師の方がいると知り、その驚きと喜びからメールを差し上げたしだいですが、・・・夏に在外に赴任する予定です。大変ぶしつけながら特に社会で働く者が読んでおいたほうがよいと先生が推薦する本があれば、在外にもっていきたいと思います。
 先生の著作集刊行の話があると読みました。もし私にご協力できることがあれば、おっしゃってください。
・ ・・UM」
 飛び上がるほど嬉しいメールに早速返事を書きました。
国際基督教大学教会の永田牧師は、1969年教師と学生として授業で出会って以来の心の友であり、宮村武夫著作集の編集委員長であることを中心に連絡しました。
またボンヘッファーの『主のよき力に守られて』ボンヘッファー1日1章を、「私自身、何回も、何年を断続的に読んできました。本はぼろぼろです。しかしまさに錦です。」と推薦しました。
 
  即答のメールです。
「宮村先生
 奇遇に驚いています。永田先生は私が洗礼を受けた時に指導してくださった先生です。
 いただいたメールの添付ファイルを読ませていただいてからお電話を差し上げます。
 私は夜まで仕事をしていたり、会食が入っていることが多いので、お電話は来週の火曜の夜ぐらいになってしまうかもしれませんが、必ずいただいた文書をお読みしたうえでお電話いたします。・・・7月19日はICUにちょっとでも顔を出せればよいのですが、・・・ご推薦いただいた本は早速明日役所の本屋で注文してみます。
本当にありがとうございます。・・・」

 UM兄とのメールの交換は、私にとって主からの深い慰めです。
あるときは、かなり長いメールを受け取ります。
「宮村先生
 毎日のように申し訳ありません。
メールでいただいた『恵みから恵み』を読ませていただきました。
何よりもご退院後ご不自由のあるにもかかわらず、精力的な先生のご活躍に触れて私自身元気をいただいた気がします。先生の活動に常に恵みがありますように。
以下、不躾を気にしつつ、長々と書いてしまいました。お赦しください。
『恵みから恵み』を読んでとても深く感じたのは、先生の交わった多くの人の話が生き生きと描いてある点です。恵みは人と人の関係に注がれるということではないかということです。
 先生の入院のお話やいろいろな人との交わりのお話を読んで、突飛かもしれませんが、自分が回心したころのことを思い出してしまいました。
私の息子は重い心臓病だったのですが、なんとか治したい一心で完治させるわけではないのですが、手術を受けさせました。その手術に耐えられず息子は召されたのですが、その時、私はこの手術に積極的だった妻をとても恨みました。
 ただ、どうであろうが、息子は召されたのですから葬式をしなければなりません。
そこで、最初は仏教式ともおもったのですが、息子が大好きだった幼児園を運営しているICU教会に思い切って頼んでみました。さすがに息子の葬式をキリスト教式で出すに当たっては、キリスト教のキの字も知らないわけにはいくまいと思い、聖書を読んでみました。マタイの福音書を読み進めていくうちに、『恵みから恵みへ』99号でいみじくも先生が引用された、マタイ11:28−30と同じくマタイの「自分の十字架を背負いなさい」という箇所を読んではっとしました。私は妻を恨んでなんかいなかったのです。むしろ息子の病気をどしんと受け止められずに少しでも良くすることばかりに焦っていた自分が受け入れられなかったこと、そしてそれを正面から見据えずに妻を恨むことでごまかしていたということに気付きました。
 息子の病気についてもその治癒を祈ることはそうなのかもしれませんが、本当に祈るべきは息子のよき父となれるよう導いてくださいということ、つまり恵みが私と息子の関係に現れてくださいということだったのではないかと気付いたのでした。
 私にとって主の教えは息子が残してくれた大切な形見です。そしてその主の教えに導かれて、宮村先生もそうですが、思ってもいなかったような人と関わりをもつことができるのは何よりの恵みだと思います。
 もう一つ、先生が98号でご紹介くださった大竹堅固さんのお話を読んで、高校時代を思い出しました。もちろん、時代背景もまったく異なるので、先生の当時は推察も難しいですが、開成高校の自由な気風、自分で考えることを求める校風になじんだことも回心の布石だったのではないかと感じています。『恵みから恵みへ』を拝読して何度かペン剣祈祷会が開催されていると知りました。私のようなものが参加することができるかどうかわかりませんが、もし、機会があれば呼んでいただければ幸甚です。
 お体の不自由をおして、私にもご連絡くださったこと深く感謝しています。
いつもこんな感じで夜も遅くなりがちです。お電話をというご厚意をいただいてから少し時間が空いてしまいますが、もし、よろしければ来週の火曜日夜にお電話を差し上げます。
どうぞご自愛ください。
恵みと平和がありますように。
UM」。

 4月22日、国際基督教大学教会主日礼拝の場で、今中国大陸におられるUMご家族を覚え、御名を崇めました、アーメン。