喜びカタツムリの便り《千葉市川より》NO.006 2012年1月7日(土)

イザヤ書46章3.4節
わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエル
の家のすべての残りの者よ。胎内にいる時
からになわれて おり、生まれる前から運ば
れた者 よ。あなたがたが年をとっても、
わたしは同じようにする。あなたがたがしら
がになっても、わたしは背負う 。わたしは
そうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って、救い出そう。
マタイ11章28.30節
すべて、疲れた人、重荷を負っている人
は、わたしのところに来なさい。わたしが
あなたがたを休ませてあげます。わたしは
心優しく、へりくだっているから、あなた
がたもわたしのくびきを負って 、わたしか
ら学びなさい。そうすればたましいに安ら
ぎが来ます。わたしのくびきは負いやす く、
わたしの荷は軽いからです。

[Ⅰ]序
1986年の新年を、4月の沖縄への旅立ちを前に、東京都西多摩郡羽村町(現羽市)で迎えました。あの時以来26年振りに、関東で迎える新年。まさに「恵みから恵みへ」です。
2011年から2012年への越年、心に定着して来たのは、やはり、継続・一貫性と進展の基本です。
 一貫性と進展は、三つの神学校の聖書解釈の授業で、旧約聖書新約聖書の関係の基盤としていずれの神学校でも終始強調し続けて来た課題です。
一方において、新約聖書旧約聖書の継続であって、旧約聖書から新約聖書へと両者は
一貫している事実の確認。
 他方旧約聖書から新約聖書への明白な進展性。この両面を重視しながら聖書全体に聴従し続ける道を歩もうと呼びかけ続けてきたのです。
今また2011年から2012年への一貫性を大切にしながら、同時に2011年から2012年への進展をもしっかり見据えて行く。そんな心持の表れとして、[2]、[3]と二つの話題を中心に以下の報告をいたします。

[2]12月17、18日、奥多摩と妹嶋崎恵美子
12月18日(日)、日本福音キリスト教会連合 奥多摩福音キリスト教会で、久しぶりで宣教を担当しました。この秋9月30日に、『三十周年記念誌』を受け取り、以下のファックスを送ったことが直接の切っ掛けです。
「頌主。本日は、貴重な記念誌を恵送−しかも速達で−くださり、心より感謝します。
ハルム宣教師ご夫妻、大通ご家族との交わりやあの当時の恵みを共に感謝すべく、大通俊雄・静子ご夫妻を訪問したく願っています。制約の中にありますが。・・・」

前日12月17日(土)から、君代と二人で奥多摩福音の家に宿泊をとお招きを受けていました。その17日の朝に、虎ノ門病院で長く入院していた妹嶋崎恵美子が63歳で召天しました。
君代は、10年前に父親も同じく肺がんで亡くしている二人の姪を、終始一緒にいてサッポ−トする必要があり、私と一緒に17日から奥多摩に来ることが出来なくなりました。
そこで、IT関係の仕事で多忙な末子・新に無理を言って、奥多摩まで同伴してもらったのです。17日の夜は、新と久しぶりで話し合え感謝でした。

18日、実に恵み一杯の主日礼拝でした。
聖霊ご自身の導きを実感しながら宣教を続ける私の心には、幾つもの思い出が満ちてきました。青梅に住居を構え、奥多摩の福音の家の働きの基盤を据えていかれたハルム宣教師ご夫妻との幸いな交わり。子供たちは、青梅キリスト教会付属のもみの木幼児園に入園してくれました。
とき満ちて1981年9月27日、福音の家の一室で、奥多摩福音キリスト教会の教会設立礼拝が持たれ、青梅キリスト教会からも4名が参加、感謝な出発でした。
同年12月19日、特別伝道集会で宣教。1986年4月1日に沖縄へ移住する直前の2月9日にも、信徒修養会で宣教などなど。

この30年の恵みを目に見える姿で体現する、大通ご家族ご一同。そしてそれぞれの時に、各自に即した主の恵みのお取り扱いを受け、群れに加えられた出席者の一人ひとり。
 
12月18日奥多摩福音キリスト教主日礼拝を中心に主の交わりが深められました。
しかしそればかりでなく、福音の家に避難しておられる福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師、佐藤副牧師などと交わりは大きく広められました。
 君代の母教会・岩手県北上聖書バプテスト教会の開拓者ホレチック宣教師ご夫妻は、北上の前に、福島第一聖書バプテスト教会の開拓をなさったのです。佐藤先生から貴重な三冊の著書とCDを頂き、なお熟読中ですが応答の手紙を差し上げたところです。

 奥多摩で恵みが展開している同じ時に、妹嶋崎恵美子の葬りの備えが進められて行きました。
 彼女の遺言に従い、弟三郎牧師が牧会する足立キリスト教会で式を執り行うことになりました。
 まず12月19日(月)は、三郎牧師の司式で前夜式。Ⅰコリント13章13節に基づく、「信仰、希望、愛」の題で説教。母が50代で病死する中で、年の差が少ない姉恵美子と深い絆で結ばれ歩んできた三郎牧師でなければ語れない感動的な説教でした。
 12月20日(火)は、三郎牧師が透析を変更できないため、兄の私がピンチヒッターとしで告別式の司式。聖書は、出エジプト20章12節から、「あなたの父と母を敬え」の題で確信に満ち宣教。
 式場に置かれた、気性のはっきりした恵美子の良さを表わす写真について言及しました。
 それは、2010年3月17日、次女恵利華の東京女子大学卒業式直後に取られたものです。長女英恵の早稲田大学卒業に続き、夫亡き後の責任を果たし得た清々しさがにじみ出ている写真で、式場のピンク系の花々に調和した明るい笑顔が印象的です。
 恵美子が卒業式当日聴いたメッセージを、湊晶子学長は、以下のように語り出されています。
「・・・2002年に学長に就任し、2期8年を全力で走り抜き、今日が最後の卒業式となりました。
 また今年は私が大学の仕事に就いて、ちょうど50年という記念すべき年でもあります。
 長い人生経験を踏まえて、次の半世紀を担ってくださる皆さまに心からのお祝いのメッセージを送りたいと思います」(湊晶子、『卒業したあなたへ入学したあなたへ』、39頁)。

 奥多摩と妹恵美子の結びについて、もう一つのことを覚えます。
それは、青梅線奥多摩福音の家へ行く手前、青梅市沢井の奥多摩キャンプ場(現奥多摩バイブルシャレー)の第一回中学生キャンプのことです。今から50年も前の話です。
 中学生だった恵美子がキャンプに参加したのです。確か男女別で、女子中学キャンプの講師は、日本クリスチャン・カッレジで教えておられたチョング房江先生でした。当時日本名槙を用いておられ、30代の前半ではなかったでしょうか。
 キャンプから戻ってきた恵美子が、興奮気味で母親に向かい、「槙先生が、槙先生が・・・」と報告していた様を昨日のように思い出します。さらに槙先生を通してのメッセージが恵美子の潜在意識の奥深く刻まれ、生涯影響を与えたと推察します。

 チョング房江先生から、私も決定的な影響を受けました。
日本クリスチャン・カッレジ1年生の時、心理学を担当してくださいました。そのときの私のレポートは、「ヨハネによる福音書14章26節の理解」で、生涯を貫く聖霊ご自身と記憶の関係についての考察の出発点となりました。
 2年生の時は、教育学。レポートは、「教育者としての内村鑑三」、これまたです。
 両レポートとも、宮村武夫著作Ⅰ『愛の業としての説教』中の「第二部日本クリスチャン・カッレジに学んで」に含まれています。

 若くして召天なさったチョング房江先生に、その後一度だけお会いしたことがあります。1966年から1967年、佐藤之信・勝子夫妻と私たち日本クリスチャン・カッレジの同窓生4人が、マサチューセッツケンブリッジで同じアパートに住んでいた時のことです。
 隣のメイン州の州立大学教授であるご主人と一緒にご夫妻で訪問して下さいました。残念ながら、そのときの会話の内容を思い出せません。しかし一つ鮮明に覚えている像・場面があります。色鮮やかな緑色のベレー帽が、苦難の道を切り開き前進し続けたに違いない先生にとってもよく似合っていたことです。
 そうです。チョング先生は、若くして召天なさいました。
今妹恵美子も、63歳で召天しました。しかし不思議に私は少しも淋しくないのです。二人の奥多摩での出会いの故でしょうか。

[3] 73歳、17歳、12歳
(1)73歳
 1月21日(土)、私の誕生日です。73歳になります。
 「老い」、確かに興味深い課題ではあります。
 ところで私自身はと言えば、年を重ねるのが楽しくて楽しくてしょうがないのです。これが私の実感です。
 そんな私を、敬愛する湊晶子先生は、激励してくださっています。
 「私は、半世紀に亘る宮村先生との交流を総括して、『偉大なる青年−タケオ・宮村−』と表現させていただきたい。
 これからも日本の青年たちのために、洞窟の中で神学を語るのではなく、世の真っただ中に毅然として共に立ち、傷だらけになりつつも、天に迎えて頂けるその日まで、『存在の喜び』を、「to be の喜び』を、宣べ伝え続け、良き模範を残してくださると期待している」(宮村武夫著作7『存在の喜び』巻頭エッセイ)

(2)17歳
 1月9日(月)午前10時半ペンケン祈祷会を、今回は、上野谷中の吉枝宅ではなく、拙宅・市川うちな−んちゅの部屋で持ちます。私たちの住居を紹介する意味もあるわけです。休日と重なったこともあり、5組の夫妻を含めいつもより参加者が多く嬉しいです。
 吉枝君とは17歳のとき高校の同期生として最初に出会って以来、キリストに従う同じ姿勢で歩み続け、生かされ続けてきました。交わりの恵みが継続しているだけでなく、深さ広がりともに年毎にそれなりに進展しています。

(3)12歳
 中学1年5組のクラスで、二人とに早生まれの大竹君と私は12歳の時出会いました。今大竹君は、私たちの大家さんで、同じ庭を別の方向から眺めながら日々生活しています。
 大竹君は、はじめて会った自己紹介の時、両親がクリスチャンで、堅固と言う名前を聖書・讃美歌からつけてくれたと明言したのです。
 それが、聖書とかクリスチャンとか、そんなことばを私が聞いた最初の経験です。

 詩篇90篇12節
「それゆえ、私たちに
 自分の日を正しく数えることを教えてください。
 そうして私たちに
 知恵の心を得させてください。」

[4]1月、2月喜びカタツムリの歩み
 お祈り頂ければ、嬉しいです。
「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、
あなたがたにも蒔く種を備え、
それをふやし、
あなたがたの義の実を増し加えてくださいます」(Ⅱコリント9章10節)。

(1)1月の歩み
1月1日(日)聖望キリスト教主日礼拝出席
1月8日(日)聖望キリスト教主日礼拝宣教、聖書味読・身読会担当
1月9日(月)午前10時半 ペンケン祈祷会 拙宅・市川うちな−んちゅの部屋
1月15日(日)日本バプテスト連盟 多摩ニュ−タウン・バプテスト教会 主日礼拝宣教
1月19日(木)東京キリスト学園交流委員会 拙宅・市川うちな−んちゅの部屋
1月21日(土)宇都宮キリスト教一致共同祈り会
1月22日(日)宇都宮キリスト集会主日礼拝宣教
1月23日(月)フィリオ会(世界宣教祈祷会)拙宅・うちな−んちゅの部屋
1月28 日(土)市川うちな−んちゅの部屋ホ−ムコンサ−ト
        山本千晶姉独唱とあかし
 音楽ディレクタ−(白ゆりの会・TAMAハレルヤゴスペルクワイア・ひまわりクワイア歌唱指導者)・演奏家集団憩いのみぎわメンバ− ・多摩ニュ−タウン・バプテスト教会
1月29日(日)日本福音キリスト教会連合 小作台キリスト教主日礼拝宣教、献堂式
1月31日(火)沖縄へ向け出発

(2)2月沖縄での日々
 沖縄を去るときの約束で、2月の日々は、名護チャペルと石川福音教会との協力を中心に沖縄宣教です。1月31日(火)沖縄へ向け出発、3月1日市川に戻る予定です。
沖縄と本土の架け橋・絆の役割を少しでも果たせるよう特別にお祈り協力頂ければ、嬉しい限りです。
 
4回の主日礼拝と石川福音教会主催(重元清牧師)の集会が、2本の柱です。
主日礼拝宣教担当は、名護チャペル、白い家フェローッシプチャ−チ、那覇聖書研究会(無教会)、安慶名バプテスト教会においてです。
石川福音教会主催(重元清牧師)の集会は、半日修養会と牧師研修会の二つです。
①半日修養会 「使徒信条再考」、漢那祈りの家
  2月7日(火)10:00−15:00「聖徒の交わり」
  2月21日(火)10:00−15:00「からだのよみがえり」
②牧師研修会 石川福音教会
 2月14日(火)10:00−15:00「牧師原論と展開」
 2月28日(火)10:00−15:00「説教原論と展開」
 連絡先 石川福音教会 重元清牧師 098−964−2536

 以上の他2月15日(土)星の子キリスト福音教会・中学生伝道会、2月25日(土)那覇バプテスト教会・比嘉康子先生按手式などあります。
こうして沖縄との絆がさらに固くされていくこと感謝です。
 
 他方課題もあります。当人について危惧する人々の思いを無視して、後任を首里福音教会に紹介。彼のために家族、教会と沖縄に迷惑をかけてきた事態に対して、自分なりに責任を果たし続けるべきだと教えられています。
 それは具体的課題からJECAを深く憂慮なさっている畏友に応答する道でもあります。
 沖縄での2月の日々のなかで、『日本新約教団の目差したもの、その今日的意義』を将来書くための心の整えを進めたいと願い始めています。

 まず何よりも個人や家族との再会、さらに新しい出会いのため、1月31日の出発まで備えて生きたいのです。お祈り下さい。

 コロサイ4章3、4節
「同時に、私たちのためにも、神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。
この奥義のために、私は牢に入れられています。
また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。」

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