2012年4月9日
★三位一体論をめぐる質問を先日メールで受け、
幾重かの限界を意識しながら、三つの基本的な私の確信をメールで伝えました。
(1)生ける三位一体の神ご自身と三位一体論の区別と関係。
私は、年を重ねるにつれて、ますます生ける三位一体の神ご自身を礼拝する喜びに満たされています。
聖霊ご自身の導きによる、礼拝・人格的交わりと三位一体論・論理は区別しなければならない。
私にとって関心の中心は、前者です。
しかし後者・三位一体論・論理を軽視まして 無視してはいない。
聖書が証言する教理(恵みの事実)を聖霊ご自身の導きに従い、正しく、深く、豊かに受け止め、応答し生きる生活・生涯こそ、もっとも私あしい私、人間らしい人間の姿と理解しています。
(2)「はじめに神」、この事実が聖書の柱、はじめに人間を置かない。
人間の一切の現実にもかかわらず、神の先手、恵みの先手に、聖霊ご自身と聖書の証言に導かれ目と心を注ぎ続ける歩みを続けたいのです。
(3)パウロが身をもって模範を示しているように、驚くべき恵みを放蕩むすこのように、湯水のように無駄にしない。
恵みに応答できることが恵み、二重の恵み。
Ⅰコリント15:10
「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。
そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、
私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。
しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」
以上三つのっ基本にたち、貴兄ご自身に三つの問いについて
考えて頂くのが良いと判断します。
問いの主旨と目的を一番深く理解しているのは、なんと言っても、貴兄ご自身なのですから。
時間的制約など限界のなかでの応答です。