バンクーバーと市川祈りのリンク

現在、私どもの住居・市川うちな−んちゅの部屋は、大家の大竹宅と一昨年11月に献堂の聖望キリスト教会会堂の間に位置しています。
聖望キリスト教会は、16年前、私の中学1年時のクラスメイト大竹堅固君宅で家の教会として主日礼拝をスタートしました。最初から昨年5月市川に移住するまで、年に4回主日礼拝と午後の限られた時間に集中する組織的有機的聖書の味わい聖書味読・身読(からだで読み・からだになる読み)会を私は担当。16年前の主日礼拝発足以前に、家庭集会を30年余継続、さらにその背後には大竹兄のご両親の戦前からの祈りの積み重ねの根があります。

今73歳の大竹君と私は、中学1年5組のクラスで出会いました。二人とも早生まれで12歳。大竹君は、はじめて会った自己紹介の時、両親がクリスチャンで、堅固と言う名前を聖書・讃美歌からつけてくれたと明言したのです。
 聖書とかクリスチャンとかそんなことばを私が耳にした最初の経験です。
60年後の今、同じ中庭を別の方向から眺めながら日々生活しています。
 
 この住居は、もともと大竹夫妻の次女志保子家族のために建てられたもので、2年前、夫君のケンさんの故国カナダはヴァンク−バ−に移住するまで、約10年間、「ヴィザのいらないカナダの部屋」と親しまれていたのです。

 昨年12月の初め、志保子姉からメールが届きました。
「宮村先生ご夫妻
2011年も、あと1カ月になりました。
先生ご夫妻の市川の地での生活が主に備えられ、豊かな祝福のなかにあることを知り、私たちも共に主に感謝しています。
また、2月の沖縄訪問のうえに、祈ります。

11月の初めに、アングリカンネットワークの総会があり、そこで日本人への開拓伝道を始めることが決めました。その働きのために、私の聖公会での聖職者ordinationに向けて、ここ数年訓練されることになりました。
11月初旬から12月中旬にかけ、私たちがラングレーで集っている教会のBishop先生から、Anglicanismの講義を受け、聖公会の歴史、神学、組織などを学んでいます。大変興味深く、恵みを受けています。
 アングリカンネットワークは、内においても連帯と連結を大切にしていますが、歴史におけるVia mediaの教会として、カトリックとの対話を続けること、また、初代教会から続く「公同の教会」として、他の教派との関わり、歩みを強く説いていることに、幼い時から単立教会で育ってきた私は、圧倒されつつ、終末に向けての「教会」の確かな意義を知らされ、そこに大いなる希望を見出しています。
 このアングリカンの学びをするうえで、『神から人へ、人から神へ』(宮村武夫著作5、ヨベル)が、私のなかに、揺るがない柱を立たせ、どこを足場として立つかを明白に示され、主の助け、主の知恵を、与えられています。
 とにかく、感謝しております。
 感謝と祈りとともに。ウォーレン志保子」

 さらに2月の1箇月間、沖縄での恵みの日々を過ごし、市川に戻ってきた直後、緊張を伴う喜びが湧き上がってくるメールを受け取りました。

「宮村先生
 1箇月間の沖縄宣教から、戻られたことと思います。
主が先立たれて導かれたことを私たちも、主に感謝と賛美を捧げます。
 戻られたばかりのところ、お願いで大変恐縮していますが、
この3月31日に、私の伝道師としての按手審査会(Discernment of Vocation
Event for Ordination)が、主教たち、司祭たちの間で持たれることが決まり、その審査会前に、日本の教会(聖望教会)の牧師先生からの推薦状が必要と言われました。・・・
 The ANiC(Anglican Network in Canada) Examining Chaplain: The Revd Dr. ArchiePell 宛てに送ることになっています。
(このぺル先生は、Regent Collegeにおいて、J.I.Packer先生と共に、Anglicanismのクラスを教えておられ、また、北米におけるアジア人伝道に重荷を持っておられ、時宜にかなってmentorしてくださる先生です。)
このサポートレタ―を、宮村先生にお願いできますでしょうか。
ご無理がありませんように、ご検討くだされば、幸いです。・・・」

 勿論引き受けました。静かな喜びに満たされてメールを送り、推薦状を書き送りました。私たちの父も、江東区冬木町の同じく日本聖公会聖救主教会で、開成の先輩鈴木勉司祭から受洗した恵み(今は二人ながら主のもとに召天)を記念しながら。

「ウォーレンご夫妻、ご家族へ
頌主 
 メール受け取りました。感謝します。
頂いたメールを繰り返し読みながら、また推薦状を送りながら深い主の慰めを頂きました。慰めぬ主の慰めです。
 志保子姉とこのように、主にある信頼の交わりを重ねることが許されている、それかりでなくケンさん、さらには愛する子供たち二人を含めてと恵みの波紋の広がり。

 志保子姉に委ねられている使命のために執り成し祈り続けることは、私たち二人の限られたこれからの生涯で特別な意味を持ちます。
 とにかくウォーレンご家族が大切な日々を送った、この同じ場に、現に私たち二人が日々生活しているのですから。

 著作集刊行の遅れ、4月からの新年度の備えなどで、いささか心に圧迫を受けている中で、受け取ったメールと推薦状を書くプロセスは、目前の一人ひとりに真正面から直面することが私なりに生かされている恵みへの応答だと改めて深く確認する機会となりました。
 バンクバーと市川とを結ぶ祈りのリンク、感謝です。
ご家族の上に、祝福が豊かにありますように。
 忍耐と希望(ローマ8章25節)
 宮村武夫・君代」

 そして、推薦状。

 Dear The Reverend Dr. Archie Pell 
 I am very thankful to write this recommend letter about Shihoko Warren.
 I am a class mate of her farther Kengo Otake at the first year of the private junior high school and very close friend of him, so I know her whole life almost all, yes her Christian life including theological education.
I know that she loves how deeply Jesus Christ her Savior and Lord from her child years and has a kind of special sense of understanding of the Biblical truth and personal openness toward people.
 She receives the rich heritage of Christian life from her grandparents and her parents, good model of the rich grace upon her life of 2 Timothy 1:5.

 From the start of Holy Hope Church at her home more than 15 years ago,I had continued to come from Okinawa four times a years to preach on Sunday and have the concentrate and organized organic Biblical and theological study,Shihoko always showed beautiful response and encouraged me much.
 She gets the Biblical truth not only right way, but also deep and rich way,
and this fact influences her whole life.

Lastly I must say that she is an honest wife of her wonderful Christian husband and a good mother of their lovely two children.

Yes, I am able to recommend her with my whole heart.

Yours in the name of our Lord
Takeo Miyamura
Missionary pastor of Holy Hope Church

 すばやい、しかも心のこもったメールがカナダから届きました。

「宮村先生ご夫妻
 推薦状そして送られた祈りのリンクメールを、心から感謝申し上げます。
こちらで、日本時間の13日火曜日の早朝から午後にかけて、ずっと、熱い主の霊が私の内に送られて、流れているのを感じていました。
本当に、主が、バンクーバーと市川を結びつけてくださっていること、空間をこえて私たちを霊において結びつけて下さる聖霊の働きに、頌栄を捧げます。

 私自身も、今、按手を受けるにいたるまでの過程を詳細に書くレポートが課題になっており、祈りつつ取り組みながら、宮村先生という存在がいなければ、この時に、この按手へと導かれていたかどうかわからないという事実に、直面しています。
 市川とバンクーバーという距離の制限のなかにあっても、宮村先生が、時宜にかなった、数え切れないメール、本、ドキュメントをおくってくれたこと、このことを涙と共に、主に感謝しております。
 
 宮村先生が分かち合ってくれた、(ネネシェギ神父直伝の)「殉教の神学」ということば、1年前の大震災、原発の事故における「被爆者イエス」ということば、エステル書の「そのとき」ということば・・・これらの魂の奥底を刺し貫く生きることばに出会っていなかったならば、今の私はいないでしょう。

 主から与えられたもの、知恵、知識、神学、経験、いっさいを惜しむことなく、主が先生に示される一人一人に忠実に直面し、「注ぎの供え物」(IIテモテ4:6)となる、宮村先生との出会いに、心砕かれて主に感謝しています。
そして、「わたしのことばを聞いた者は、わたしのことばを忠実に語らなければならない。」(エレミヤ23:28)。この神の命を受けています。

 日本の大震災・原発事故から1年がたった3月11日に、こちらで新たに、日本語による聖書の学びの集いが、スタートしました。
 かつて、バンクーバーに沢山あった日本語礼拝が、移民の方々の高齢化とともに、人数が思うように増えない、学生やワ―ホリたちがあつまっても、資金が潤わない、財政的にメリットがないという理由で、それぞれの教派・教団が、集会を解散することを決め、礼拝の行き場を失った日本人の方々が、バンクーバーに多くいるのです。
 この方々の渇望、苦しみを知らされ、キリストの教会に、資金が潤わなければ、信仰・霊性の面は、あっさりと切り捨てるという資本主義の影響が、はびこってしまっていることに、大きな罪を見出します。
 しかし同時に、私自身の中にも、この資本主義の影響を信仰にうけてきてしまった罪を、主から示されました。
 家族を支え、子どもたちの教育を思うと、日本人を対象に伝道、牧会していくことは、金銭的に大変困難であるという考えが私にしみついていたのです。
 「人は、パンによって生きるにあらず、神の口からでることば、1つ1つによって生きる」このみことばと聖霊に、押し出され、日本語礼拝の行き場を失った方々、またその方々の求道者の友人の方々たちとの、聖書の集いが始まりました。
 この集いを、祈りに覚えて下されば、幸いです。
 長くなってしまいました。感謝がこみ上げて、どっと書いてしまいました。
 祈りつつ。
 ウォーレン志保子」

 今、J.I.パッカーの『ピューリタン神学総説』を、時間を注ぎ、心を注ぎ、文字どおり熟読しています。パッカー先生のもとで学んだ最初の日本人である訳者松谷先生からの贈呈です。これはまさに畏友松谷好明先生の入魂の翻訳です。松谷先生ご自身の著書のように受け止め読んでいる自分にふと気付くのです。
J.I.パッカー先生は、私の恩師ロジャー・ニコル先生の大親友です。
 そのJ.I.パッカー先生のもとで学び、パッカー先生を中心とする、カナダ聖公会の福音的グループで志保子姉は按手礼を受けようとしているのです。感謝です。アーメンです。

「『市川から沖縄に派遣され』、同時に『沖縄から市川へ派遣される』とは、なんという主の深い連帯・連鎖なのでしょうか。
 宮村先生を必要としている教会、群れ、集い、学校を、すべてご存知の主が、最善に導かれていきますように、
 そして、その主の入り用を敏感に感じ、行動していく教会、学校、群れ、集いが、起こされていきますように、同時に祈ります。
 感謝と祈りと共に。
ウォーレン志保子」