span class="deco" style="font-weight:bold;">2016年1月7日(木)③恩師ケスター先生ご召天の報をめぐり勝田英嗣先生とのやり取り 再録


2016年1月7日(木)③恩師ケスター先生ご召天の報をめぐり勝田英嗣先生とのやり取り 再録
 1月1日に、ハーバートで指導教官として厳しく愛に満ちたご指導をくださった、ケスター先生がご召天なさったとの報に深夜接し、学恩を改めて深く覚えました。

★ケスター先生についての詳しい報告を私がブログに掲載したのに対して、勝田英嗣先生→宮村
「たしかハイデルベルクでボルンカムの下で佐竹明氏の論文指導をした人ですね」。

★宮村→勝田
「 勝田先生、帰国する際、ケスター先生から、学びの継続のため、佐竹明先生を訪ねて見るように勧められました。
 ところが、ボタンの掛け違いのようなことがあったのです。
佐竹先生にお会いするため、日本クリスチャンカレッジで1学年下だった、井谷嘉男兄が、当時学んでいた青山の神学科のセミナーへ、埼玉の寄居から訪ねたのです。ところが当日、佐竹先生は出講しておられず、担当の方はケスター先生を知らないということで、道が塞がれたのです。
 そのためハーバートで一緒に学んだ、イエズス会のスミス司祭が、どこも行くところがなければ訪ねて行くようにと心配して紹介してくれていたイエズス会の神父を訪ね、彼の紹介で神学部長ネメシェギ神父と出会い、さらに上智での学びの期間にエイレナイオスをG.ヴォスの源泉のように受け止める道が開かれたのです。
 こうした成り行きは、単なる偶然でなく、摂理の御手の中であると深く感謝しながら、ケスター先生を特別記念しています。また勝田先生と、学生数名のキリスト神学校のクラスで出会った懐かしい経験を覚えます」。

勝田→宮村
「私は日本基督神学校の後、神戸で一年学び、東京に帰ってきてから東京神学大学大学院で学ぶ傍ら、青山の佐竹先生の釈義も聴講しました(第二コリント)。佐竹先生を知ったのはその著書「ピリピ人への手紙」と基督神学校当時の宮村先生の授業からでした」。