1月4日(金)Ⅰペテロの味わい その20    午前中に長男忍望帰宅、神田岩本町クリスチャントゥデイ事務所行き予定中止

1月4日(金)Ⅰペテロの味わい その20
午前中に長男忍望帰宅、神田岩本町クリスチャントゥデイ事務所行き予定中止
https://youtu.be/du2TwQ6EFuY
1ペテロ1:19

Ⅰペテロ1:19
高価な代価、主イエスご自身
[1]前半
 「傷もなく汚れもない小羊のような」。

[2]後半
(1)「キリストの尊い血によったのです。」

アンヨをもって、テテもって 文芸雑誌『修羅』掲載

[1]序
(1)入院
 2009年12月18日(金)、脳梗塞のため那覇市立病院に入院、明けて1月13日(水)、リハビリに集中するため大浜第一病院へ移ってからの日々、多くの方々の祈りと好意に支えられ、4月4日のイ−スタ−を前に、4月2日(金)退院できました。
今回の経験、1963年から1967年のアメリカ・ニュ−イングランドへの留学に匹敵する深い学びのときであり、しかも短期集中の楽しくて、楽しくての毎日でした。

はじめから終わりまでの日々、実に多くの方々との交わり・交流は、幾重にも重なる豊かなものです。
祈り
処々各所の方々の祈りが一身に注がれ、
「信仰による祈りは、病む人を回復させます」(ヤコブ5章15節)との約束の成就を経験し、この期間本当に祈りが一段と身近なものとなりました。
 しかも祈りの中心は携帯電話を用いてのそれで、大きく広がる様々な地域の方々と携帯を通じて祈りを合わせる恵みを味わいました。
手紙、メ−ル
また左手・指が不自由ではあっても、右手を自由に用いることができ、時間は今までより圧倒的かかりますが、手紙を書き続けることができたこと、やはり小さくない恵みでした。厳しい制約の中でメ−ルもそれなりに活用。
来訪
特に大浜第一病院ではほとんどの病室が個室でしたので、近くから遠くから訪問くださった方々と落ち着いた対話を重ねることができ、訪問くださった方も訪問を受けた私も、ともどもに心満たされました。

(2)埼玉の松本さんから
そうした日々の中で、埼玉の松本鶴雄さんと直接連絡が取れたのです。
2009年11月に出版した、著作集Ⅰ『愛の業としての説教』(ヨベル)を私が送付していたところ、松本鶴雄さんから電話を、さらに丁寧な読書感想の便りを受け取りました。
 電話では時空を越えて話が弾み、その後、私たちの交流の絆を体現するかのように、
『神の懲役人−椎名麟三 文学と思想』(青柿堂)が埼玉から遠く沖縄まで送り届けられたのです。
また私からの応答としては、文芸同人誌・『修羅』の同人に加えていただく手続きを取りました。
50年にわたり説教を続け、神学論文やエッセイなどの文学類型で書き発表し続けてきました。しかし今回入院中に経験し思索したことを表現するには、それに相応しい別の表現方法や場があるのではないかと考え始めていたところでした。
松本さんとの長い年月絶えることのなかった交流に後押しされ、同人加入は71歳にしての新しい小さな一歩。

[2]埼玉県寄居
話しは、1960年代後半、寄居へと時空を越えて飛びます。

(1)小さな牧師館の狭い部屋での読書会
 1967年10月1日、4年間の留学中待ち続けてくれた寄居キリスト福音教会に、私は戻ることが出来ました。1965年4月12日に結婚式をあげた妻君代、1967年の8月27日に誕生したばかりの長男忍望と共に。迎える側も、迎えられる側も、ひたすら喜びに満たされた恵みの時でした。
 そうした雰囲気の中で、一つのことが始まったのです。
当時寄居高校定時制の教師であった松本さん、同僚の藤田さんと私を中心に、小さな牧師館の狭い部屋でこじんまりとした読書会を始めたのです。
 藤田さんが、マルキストと自己紹介した声が耳に、いや心に今も残ります。
 その時より5年前に書いた、日本クリスチャン・カレッジでの私の卒業論文、『ドストェスキ−の神学的一考察−『悪霊』に於ける人神論と神人論−』について、カナダとアメリカから寄居に来られていた二人の婦人宣教師が松本さんに伝えていたことが、読書会発足の種になったと記憶しています。
 読書会はめっぽう楽しく、定時制で私が英語を教えられないかお二人は努力を払われました。しかし私が卒業した日本クリスチャン・カレッジが文部認可の大学でないため、県庁の許可が下りず、没。

(2)「アンヨをもって、テテもって」
1970年1月25日、寄居キリスト福音教会発行、『月報』に、以下のドストェスキ−がらみの文章を載せました。

「二歳半になる長男忍望が教会学校の幼稚科出席するようになってから、種々興味深い事実を観察しています。たとえば、暗誦聖句についてです。
 最初に習った暗誦聖句は、ガラテヤ5章13節の「愛をもって互いに仕えなさい」でした。暗誦聖句はと聞くと、「アンヨをもって、テテもって」と忍望は答えるのです。初めは、何のことか全く理解できませんでした。アンヨではなく、愛と言っているとばかり思い込んでいたので、どうして、テテ(手)が出てくるのか分からなかったのです。
しかし、やがて忍望は愛と言っているのではなく、アンヨ(足)と言っているのがはっきりすると、すべてが理解できるようになりました。
愛という言葉は、二歳半の忍望にとって、全く無縁なものです。
ですから、愛という言葉を聞いた時、その発音に比較的近い、アンヨ(足)と誤解したのは、至極自然なことと言えるでしょう。アンヨと言えば、どうしても、テテ(手)が出てくるわけです。それで、暗誦聖句と聞かれれば、「アンヨをもって、テテもって」と答える理由が分かりました。分かってみれば、何でもないことです。
 ところで、「愛をもって互いに仕えなさい」との励ましは、結局のところ、「アンヨをもって、テテもって互いに仕えなさい」と理解され、実行されねばならないのではないか。こうしたことを考えながら、ドストエフスキ−の『カラマーゾフの兄弟』を思い出しました。あの作品の中で、ゾシマ長老は、アリューシャが信仰と愛とによって、この醜悪な世界を浄化し、美化していこうと目指す時、「然るに実行の愛に到っては、何のことはない労働と忍耐じゃ」と語っています。
 十字架というキリストのからだにおける卑下により神の愛を示された私たちは、労働と忍耐を通し、自分の生かされた場所で実行の愛を具体化して行く道を歩む。神の愛を賛美しながら、現実の人間生活から逃避することなく、身に受けた神の愛の故に、苦難と悲惨に満ちた現実にしっかりと留まり、与えられた生を他者との人格的交わりを通して生き抜く。これが、人間・私、キリスト者に求められている生き方です。
 今年、私たちの信仰が、愛という抽象的な言葉に留まるだけでなく、手や足という具体化、現実化されていくこと願わざるを得ません。
 「愛をもって互いに仕えなさい」と「アンヨをもって、テテもって互いに仕えなさい」とは、決して別のことではないようです。」

寄居時代の忘れ難い思い出、そして今回松本さんが、『神の懲役人−椎名麟三 文学と思想』を私に送ってくださる切っ掛けともなったのは、
1969年の松本さんの著書、『丹羽文雄の世界』(講談社)の出版です。
その出版記念会の案内を受け、この種の集いに初めての参加で多少の緊張感を持ちながら、池袋の会場に向かったのです。
 開会時間のかなり前に着いたところ、私よりも先にもう一人の方がすでに到着しておられたのです。
椎名麟三さんでした。自己紹介後、話が私たちの読書会に及んだ時、
「それで分かった。松本さんが罪や悪について深く書けるわけが。」と椎名さんは明言なさったのです。この人は、聖書でものごとを読む方なのだなと私の思いの深くに刻まれました一事を、今もありありと記憶しています。。
 勿論、私が椎名さんにお会いしたのは、この時一回限りです。
そして驚きました。『神の懲役人−椎名麟三 文学と思想』(236頁)に、
「その後、出版記念会で初めて(椎名麟三さんに)お目にかかる機会を得た。後にも先にもこれが最後であった。」とあるではありませんか。