、「勇ましく、高尚な」クリスマス

ヨハネ16章33節 
「勇ましく、高尚な」クリスマス」 

御父、御子、御霊、生ける三位一体なる神の御名を讃美します。
[1] 序
(1)今年も、アドベントの日々を迎えています。
2017年でも、2019年でもなく、私たちの生涯においてただ一度の2018年クリスマスに備えているのですです。
 そればかりでなく、「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1章1節)、天地の創造からキリストの再臨・新天新地までの神の救いの全歴史の中でただ一度の2018年クリスマス礼拝です。

(2)今朝の聖書は、ヨハネ16章33節に集中します。
そのために、ヨハネ1章5節、1章14節、さらに14−16章に意を注ぎ、ヨハネ福音書全体の流れを確認しながら、ヨハネ16章33節の内容に集中します。

[2]「勇ましく、高尚なクリスマス」、その基盤・原クリスマス
(1)ヨハネ1章5節、「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」 
①60年以上のキリストにある友人吉枝君・吉枝先生のトラク
 白地に黒い点、黒字に白い点。どちらのタイプかと問う。

②「すでに」光はやみの中に輝いている。
同時に、やみは、主イエスの再臨・新天新地までは、完全に無くなったのではない。

(2)ヨハネ1章14節、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた」。「私たち」は、最初の主イエスの弟子たち、最初のヨハネ福音書の読者、そして今、ここで読む私たち!

[3]「勇ましく、高尚なクリスマス」、その豊かな内容
(1)「あなたがたがわたしにあって平安を持つため」
①そのために、「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは」

②「これらのこと」、ヨハネ14−16章全体に記されている内容。
主イエスのことば、弟子に・私たちに個人的に語り掛け。
聖霊ご自身の導きを受け、そのように聖書を主イエスの私たちへの個人的語り掛けとしてむ。この徹底的聖書信仰が基盤。 
語られている内容は、聖霊ご自身と主イエスの切り離すことのできない深い関係、ですから徹底した聖霊信仰。

(2)「あなたがたは、世にあっては患難があります」。
①「世にある」キリスト者・教会。しかし世のものでない。

キリスト者・教会・人間と「患難」。
基本的な聖書の宣言の一つ、ローマ5章1−5節。
「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 

(3)「しかし、勇敢でありなさい」。
①「しかし」が鍵。「しかし」の後が、本音。

②勇敢・「しっかり」の実例。マタイ9章2節、14章27節。

[4]集中と展開 
(1)集中。
「わたしはすでに世に勝ったのです」。
「すでに」の恵みの事実。

(2)展開。
「あなたがた」と呼ばれる、世にあるキリスト者・私たちへの賜物。
キリストにある平安。その二つ、いや三つの側面。
①「すでに」の恵み。

②「いまだ」の恵み。

③「やがて必ず」の恵み。
「いまだ」の現実の世にあって、主イエス「すでに」ご自身における「すでに」に堅く立ち、
「やがて必ず」の希望を仰ぎ見、今この場にと留まる。これこそ、「勇ましく、高尚な」クリスマス、「勇ましく、高尚な」生涯。参照マタイ11章30節、ローマ8章25節。