11月25日淀橋教会主日礼拝に出席と交わりの喜び

11月25日淀橋教会主日礼拝に出席と交わりの喜び
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11月25日、本当に久しぶりに淀橋教会主日礼拝に出席でき感謝でした。
淀橋教会主日礼拝に出席する喜びは、なんといっても淀橋教会の初代牧師が私にとって特別な存在である、笹尾鉄三郎先生である事実と結びつきます。

 さらに、現在クリスチャントゥデイのスタッフ3人組のうち矢田ご家族と内田ご家族にとって淀橋教会は所属教会ですので、淀橋教会の礼拝に出席する喜びばかりでなく、礼拝後の食事会では、両家族の子供たちに会える楽しみもありました。その楽しみが実現したのです。写真をご覧ください。
 ここに写っている子供たち一人ひとりについて私たち夫婦の思い入れがあります。そうです、1970年青梅時代、もみの木幼児園を通して、「存在の喜び」(宮村武夫著作7『存在の喜び』 宮村武夫著作の源泉「もみの木幼児園の十年」』)の恵みを経験した事実は、その後の私たち夫婦の生涯に決定的な影響を与えてくれました。そして2018年の今、クリスチャントゥデイの交わりにおいても、「存在の喜び」を味わっています。
 たとえば、矢田家族の長女・安奈ちゃんが私たちの市川の住居を訪問してくれたとき、2歳になったばかりでした。私はまだ正式にはクリスチャントゥデイの働きに参加しておりませんでした。しかし、その初対面から、安奈ちゃんと私たちの交わりが今日まで継続しているだけではなく、深まっているのは確かです。
 他の子供たちは誕生の前から、また誕生のその時から一人ひとり親しい交わりを続けてきました。
 そればかりではありません。来月12月には、矢田夫人が出産予定なのです。立ち上がって横を向いていただければ、一目瞭然なのですが、今にもその日がといった状態です。胎児は、この交わりの中にはっきりと位置を持っています。はっきりと自己存在を表現している胎児が群れに加わっているのです。

 クリスチャントゥデイとは、何か。人によっていろいろな理解と表現があるのは確かです。中には私から見れば、理解ではなく誤解・曲解と言わざるを得ない場合もないわけではありません。
 確かに理屈っぽくしつこい私にとっては、クリスチャントゥデイとは何かについてあれこれ書きたいことも少なくありません。
 しかし、結局一言でいえば、この写真が示している目に見えない胎児を含めての交わりそのものがクリスチャントゥデイであると言い切っても過言でないと理解します。少なくとも、あらゆる言明はこの存在自体と切り離せない。主日礼拝を共にしながら、その思いを深くします。思いを深くしながら、明日からもクリスチャントゥデイの働きを継続したいのです。
 小さき者ながら、明言します。クリスチャントゥデイを消そうとすれば、石が叫びだす。なかなかです。感謝。