詩篇119篇の味わい その6詩篇119篇81-96節

詩篇119篇の味わい その6
詩篇119篇81-96節

詩篇119篇81-88節
厳しい迫害を受け(84節)、神の助けをないように思われる中で、詩篇の記者はみことばに従う。
81節
「慕って絶え入るばかりです」→「切望する」 。
困難な中にあっても、万物の基であるお方に詩篇の詩人は望みを置き、忍耐し続ける。

82節
「私の目」が「言っています」。人間の五体の各部分がそれぞれ、主なる神に訴えているように生き生きとした表現、たとえば骨が震え、心臓が首を垂れ、目が語り、唇が歌うなど。
「救いを慕う」(81節)とき、詩人は「みことばを慕って絶え入るばかり」に、みことばに固く留まる。

83節
「革袋」、ブドウ酒や牛乳入れ、天井の煙りが出ていく所(天窓)に下げて味が良くなるのを待つために用いるもの。煙で黒くなっている様を、苦しみや悲しみ、また年老いた状態の比喩として用いる。ここでは、詩篇の記者が受ける、長期に渡る災禍(さいか)を指す。神のみことばに支えられて初めて、そのような中でも、主なる神に従順であり得た。

84-88節
「迫害する者」(84節)に対して、主なる神のさばきを求める。記者が出会った苦難。
「迫害する者」、偽りごとをもって、詩篇の記者を迫害する(86節)。
「高ぶる者」(85節)記者のため穴を掘り、神のみことばに従わない。
彼らは、地上で記者を滅ぼそうとする(87節)。

↓上記のような状況の中で
詩篇は、不当な圧迫受ける中で、主なる神の契約に基づくみことばに信頼し、守り続ける。
「みことばを待ち望んでい」(81節)る。
「みことばを慕って絶え入るばかり」(82節)。
神の「おきてを忘れ」(83節)ない。
純粋で清い心から、神にふさわしいさばきを求める(84節)/
神の「戒めを捨て」(87節)ない。苛酷な試練にあっても、誠実さを失うことがなかった。神のことばを絶え間なく瞑想し、勇気つけられた。

88節
主なる神の恵みにより生かされる、この一事を忘れない。
詩篇119篇86-96節
「地上」(87節)で不当な圧迫が行われているのに対して、神のみことばは、「天において定まって」(89節)いる。この神のことばを「あなたの仰せは、すばらしく広い」(96節)とたたえる雄大な賛美。みことばのうちに救いの確かさを求める。

89ー91節
「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1章1節)。
「そのとき、神が、『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた。」(創世記1章2節。参照ヨハネ1章3節。
「天地を創造した神の言葉が、ちりに等しい人間である詩人の悩みを解決し、人生に意味をあたえた。」(『実用聖書注解』651頁)。
89節。 「天において」、移ろい行く地上との対比で、変わることのない領域。
90節。「地は堅く立っています」、主なる神が「地を据えた」という意味では、不動の大地。
91節「すべて」、「天」(89節)と「地」(90節)。
「あなたの定め」、宇宙の法。
「あなたのしもべ」、天地万物が、神のしもべとして神に喜んで仕える。万物は神の隠れた大能もより統治され、自然の秩序全体が神の御手により保持されている。そのように詩人も、神の救いの恵みを感謝し、喜んで仕える。創造者なる神への信仰と救い主なる神への信仰の深い一致。参照詩篇19篇。

92ー94節
神の「みおしえ」(92節)は、悩みの中から人を救い、災いを免れさせ、いのちへと導く(93節)。重い苦難の中にあっても、深い慰めを与える。
この恵みにあずかった者として、「私はあなたのもの」(94節)との意識に立ち、 歩むことができるよう詩人は祈る。

95節
「私はあなたのさとしを聞き取ります」、注意を払うこと。

96節
「すべての全きものにも、/終わりのあることを見ました」、すべて地上的なものに限りがあることを知る。つつしみ。
「あなたの仰せは、すばらしく広いのです」(96節)。神のことばの豊かさ。神のことばのみが、あらゆる限界、限度を超越する。かのような神のみことを受け入れるために、心を広くされる必要がある。