市川治平元大佐(陸士三七・陸大四九)、わが伯父と私 その6、小学校下級生の時、市川伯父から聞いた緒方竹虎の名と言葉が、今想起!

市川治平元大佐(陸士三七・陸大四九)、わが伯父と私 
その6、小学校下級生の時、市川伯父から聞いた緒方竹虎の名と言葉が、今想起!

 市川伯父は、福島県いわき市の山奥成沢炭鉱時代、比較的ゆっくりとしたペースで日々を送り、よく私の相手になってくれました。
 そうした中で断片的に記憶している一つは、政治家の中で、吉田茂の名前と一緒に聞いた「緒方竹虎は本物人物だ」との言葉でした。小学校4年生になるときに、家族と離れ、小岩の祖母と生活するようになる前のことです。

 ところがです。その緒方竹虎の名前と言葉に、79歳の今年、藤岡伸一郎著、『取材拒否 権力のシナリオ、プレスの蹉跌』を再読しているときに
出会ったんです。
 2014年4月クリスチャントゥデイの働きに参与して以来、思いもよらぬ取材拒否の事態に直面しました。この事態を私なりに考えようとする過程で本書に出会い、必要に応じて拾い読みをして来ました。
 ところが今年になって、資料Ⅰ「新聞倫理綱領」昭和21年7月23日制定・昭和30年5月15日補正(本書398,399頁)を、心を熱くしながら熟読吟味したのです。
 その過程で、本書408頁にある、「本書の筆者の一九九〇年四月十日日付のあとがき」に以下の文があり、目にに飛び込み、心に刻まれたのです。

「言論人・緒方竹虎は晩年、朝日新聞のずっと後輩にあたる笠信太郎にに話している。
 『何か意見を書く場合には、その当事者と向き合って話をして顔を赤くせんでもよいものでなければならん。ということは、新聞の陰にかくれて無責任なことをやってはいけない、その人と膝を交えて論議しても言えることでなければいかぬぞ。』」
 時の流れを越えて、小学校下級生の時成沢炭鉱で聞いた、わが伯父市川治平のことばが想起されました。
 幼年学校出の根っからの職業軍人である伯父と政治家になる前の言論人緒方竹虎の接点がどこであったのか、今は知る由もないのですが。