『自分の日を正しく数えることを教えてください』 詩篇90篇10ー12節,

『自分の日を正しく数えることを教えてください』
詩篇90篇10ー12節,

[1]序
(1)この主題で聖書に共に心を注ぐことの許されている恵み.その背後にある,まさに文字通りの主なる神の御手の中での導きをおぼえます。

(2)12節の「それゆえ」を注意.人生には限りがある.一年には限りがあり,ものごとには「限界」がある.この「分」を悟ることが大切.
参照ローマ12章3節.
 この分ををおぼえます。真にわきまえるのは,ただ無限なる神の御前においてのみ可能. 分をわきまえ,分を果たす道.

[2]「自分の日を正しく数える」
(1)いつまでも生きるのではない.限りがないのではない.

(2)すぐに天国に行くのではない,すぐに終末が来るのではない.
   参照,拙文『短さの恵み』
○『短さの恵み』
沖縄時代那覇の空港に降り立ち、私が沖縄らしさを一番意識するのは、二月の日々です。本土との温度差が10度以上と、一番はっきりする時期なのです。沖縄と本土の距離を改めて肌で感じ、位置感覚に快い刺激を受けます。

そして二月の短さ。30日や31日と28日とのたかだか二、三日の違いなど何程かと思います。しかし現実の生活の中では、この二、三日の違いが計画や約束の遂行に、微妙な影響を及ぼします。

私は何回か手痛い失敗の経験をしましたので、二月の短さを肝に銘じました。短さを意識し、心備えしつつ計画を深め、普段の月と同じ、いや他の月より充実した歩みを心がけます。短さを悟り、生活する二月の恵みです。二月はその短さによって、一年の一月一日、そればかりでなく私の生涯の短さを「気をつけなさい」と静かに指し示しているのです。同時に短さの中に含む豊かさで、励ましてくれます。

「気をつけなさい」との警告、聖書の中にも聞きます。マルコの福音書13章で、主イエスエルサレム神殿崩壊を巡る弟子たちの質問に対して、繰り返し言われます。

様々な異変が生じ、その噂が満ちても、それで世の終わりではない。「気をつけなさい」(5節)。激しい迫害も終わりを意味しない。望みを失わず、「気をつけなさい」(9節)。そのときこそ、諸国民への宣教の機会なのだと。

にせキリストやにせ預言者の出現に惑わされないように、「気をつけなさい」(23節)。苦難と激変の中で堅く信仰に立ち、耐え忍べ。

「気をつけなさい」(33節)。それぞれに割り当てられている仕事に責任をもち、従事しなさい。

終末の迫りを知り、しかも主イエスの再臨までの豊かな歴史の展開・形成に参与せよよの招き。日々の短さを覚えつつ、このお招きに応え、制約の中での恵みに心熱くして、平凡な日々の営みを続けたいものです。



[3]「知恵の心」
(1)知識と知恵の関係
(2)「心」と知,情,意.
   訓練と生活・生涯.

[4]結び
(1)一日の大切さ.カレダー,祈りのノートの活用. 
(2)自分の人生,70年,80年として,それを日数で数え,今まで生きて来た日数.残りの日数.
(3)「知恵の心」,
   朝が鍵,詩篇90篇14節,「朝には」
       エレミヤ哀歌3章22ー41節,23節「朝ごとに」.