溝田先生のキリスト教メディアに関するコメントとそれに対する宮村の応答

溝田先生のキリスト教メディアに関するコメントとそれに対する宮村の応答

★溝田先生→
 プレスをはじめとしたキリスト教メディアは無くなっても一般人は困らない。CTがなくなると一般人や一般企業が困る。そこが大きい違い。

★宮村→
 「聖書をメガネに万物を「」、聖書をメガネに、天地創造から新天新地までの万物を解釈する素朴な立ち位置を大切にする。その時、鼻から息する何者に対してもたじろがない者が、小さい人や小さなことを侮ろない。

そしてうそをつかない。つまり、
あることをないとしない。
ないことをあるとしない。
ハイハイ、いいえはいいえ。
主イエス様が明示してくださり(マタイ:37)、
先達ボンヘッファーが道。
雜賀兄と、1年前後短い期間でしたが、一緒に働きながら、上記の確信を、ことあろごとに私は彼に素朴に訴え続けました。

 今も、敬愛する若き同僚矢田、内田と3人で、この道を歩み続けているつもりです。
 組織や経済・金のつながりではなく、上記のような志を核をにリンクされた、組織の圧迫や金で動くことのない自立したコラムの書き手による支えで、クリスチャントゥデイの歩みが一歩一歩と進められていると自覚しています。
 これに対して、異端のふんだんな金で動いているとか、逆に従業員に給料を支払っていないと説明する人々の気持ちわからないでもありません。
自分たちが寄ってたつ、組織と経済の論理で説明できない事態が生じているのですから。
 同時に、ピリピ2:13,14を自らの生活と生涯において経験なさておられる方々の中から、それぞれの立場にしっかり立ちながら、小さな私たちと真実と敬意の帯で志のリンクを張ってくださる方々起こされているのも事実です、感謝。