「童謡説教」をめぐって その13 童謡説教を理解して下さる方③  セミナー「日々のみことば」執筆者セミナー 記者谷口和一郎

「童謡説教」をめぐって その13 童謡説教を理解して下さる方③ 
セミナー「日々のみことば」執筆者セミナー 記者谷口和一郎

以下の谷口和一郎愛兄の記事は、時と人の両面が丁度よく重なり、童謡説教の背景、童謡説教を始め継続する私自身の生活と信仰を正確に書き表してくださっているものと受け止め感謝しています。
 この取材・出会いが契機とななり、その後も谷口編集長は、年に一度は拙宅を訪問、心を開いた、心満ち足りる対話を重ねて下さり、いつも深い慰めと励ましを与えられています、感謝。


「一度にすべて」ではなく「絶えず、しきりに」
20年以上にわたって刊行を続けているディボーション誌『日々のみことば』の執筆者のためのセミナーが9月16−18日、静岡県小山町のチャペルマラナタで開催された。講師は、センド国際宣教団・日本センド派遣会総主事の宮村武夫牧師。地域教会での長い牧会経験と神学教育者としての働きに裏打ちされた、本質的かつ実践的な内容が語られた。

背景 
『日々のみことば』は、日本同盟基督教団・招待キリスト教会の趙南洙牧師が発行人を務めるディボーション誌。当初は、韓国のディボーション誌を翻訳して発行していたが、現在は10名ほどの日本人牧師が交代で執筆している。同誌について趙牧師は次のように語る。
「地道に地域教会に仕え、みことばに取り組んでおられる先生方に執筆をお願いしています。ディボーションの目的は、読んだみことばが実生活に反映されること。そのために“適用”を重視しています。そして、良い質問は良い答えを引き出しますので、毎日のディボーションでも質問が用意されています。」

今回講師として招かれた宮村武夫氏(74)は、ペンテコステ派の教会で救われたあと、日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学校、ハーバード大学神学部、上智大学神学部で学び、日本新約教団(後に日本福音キリスト教会連合として統合)の牧師として埼玉県寄居町、東京都青梅市沖縄県首里福音教会で牧会。その間、東京基督教短期大学(TCC)、東京基督神学校、沖縄聖書神学校、また日本女子大学で教育者としての働きを続けてきた。『存在の喜び』『愛の業としての説教』などの著書がある。

講義内容

「私は徹底的な聖霊信仰と徹底的な聖書信仰です」と自己紹介した宮村氏は、まず説教者と執筆者の姿勢について触れた。

「語るということと書くということ。私はある時期から、自分が生きるようにしか伝えようがない、結局、伝達というのは、私が生きる、その私を出すしかないと理解した。パウロも『私のように』(ガラテヤ4・12)と言っている。よく『私を見ないでキリストを見て欲しい』と言われるけれど、私が生きるようにしか語れないし、書けない。」

講義Ⅰ「聖書の成立と聖書解釈」では、ヘブル人への手紙1章1節「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られました」を引用し、全能の神が「一度にすべて」ではなく、「絶えず、しきりに」(エレミヤ25・3)語りかけるお方であることを説明。『日々のみことば』の「日々」が大切であることを強調した。
また、テモテへの第二の手紙3章16節「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」を引用し、「歯の矯正が思い浮かびますが、矯正というのは一気にガッとやるものではない。一度にすべてではない。確実に少しずつやっていくものだ」と語り、日曜ごとの礼拝説教でも、一度にすべてを期待するのではなく、絶えずしきりに語り続けていくことが大切だとした。

講義Ⅱ「聖句主義か聖書主義」のサブタイトルは、「釈義、聖書神学、組織・有機神学に裏打ちされた説教」。宮村氏はまず、聖書の一部分を用いて御子の受肉などを否定したグノーシス主義と、それと戦った教父エイレナイオスの例を挙げ、聖霊ご自身が著者である聖書の全体を見ていくこと、そのために、一つの聖句と一つの聖句が有機的に繋がっていることを確認する組織・有機神学が重要であるとした。

さらに、聖書各書の著者が伝えようとしたことを聖書テキストの文脈と、また背後にある歴史的文脈の双方から汲み出そうとする作業―釈義について、何が(What)と如何に(How)に加えて、なぜ(Why)が必要であることを強調した。

「たとえば、パウロはなぜコリント人への手紙を書いたのか。その意図を知らなければならない。正確な釈義をしていますと言いながら、何がと如何にで止まっている。そこから急に適用を語る。それが果たして『聖書的な説教』と言えるのか。パウロのうちには〝マグマ〟とでも言えるものがあった。熱く燃えたぎるもの。そのマグマに触れるような説教準備をしたい。」

講義Ⅲ「童謡説教で実践していること」では、自身が最近取り組み始めた「童謡説教」について説明した。現在、宮村氏は、YouTubeに毎日、「どんぐりころころ」や「めだかの学校」などの童謡を元にしたショートメッセージをアップしている。YouTubeの画面を開き、「童謡説教」で検索すると表示される。

この童謡説教の下敷きとなっているのが、創世記1、2章の天地創造の記事。そこには罪の無い世界、恵みに満ちた世界が書かれてあり、そして3章から堕落と救済の歴史が始まる。素朴な日本の童謡に、創造の恵みを見た。さらに沖縄での牧会経験。「沖縄で聖書を読み、聖書で沖縄を読む」。つまり、聖書の神が沖縄を導いておられるという視点から沖縄の現実を見る。聖書の眼鏡で童謡を見ると、そこにも聖書的真理がちりばめられていた。

また、このYouTubeへのアップは、岩崎淳さんという男性が「下町の人に宮村先生の話を伝えたい」との情熱を持ち、1年にわたって宮村氏に勧め続けたことによる。撮影も岩崎さんがこなし、自称「下町コンビ」でインターネットを用いた宣教を続けている。

宮村氏はさらに、ヨハネ福音書1章14節を開いて「ここにある『私たち』とは誰のことでしょう?」と問いかけ、それが、イエスを目撃した弟子たちが第一の想定でありつつ、そこから波紋のように拡がる同福音書を読むであろう人々が想定されていることを指摘。そこに、今これを読んでいる「私たち」が含まれていることを示して、聞き手、読み手を想定・理解して説教することが重要であるとした。

講義Ⅳ「忍耐と希望」では、ローマ人への手紙8章14−26節の間に、文脈からは離れたように見える18−25節が挿入されていることに触れ、「なぜ割り込んで書かれたのか。それは、パウロのマグマに触れる部分だから。パウロの中にある神の御業の全体像。個と全体。全体から個(一部)を見る」と語り、ここで繰り返される「被造物」「被造物全体」「うめき」という言葉に注目、「ローマ教会の現実を本当に見るために被造物全体から見る。今はうめいていても新天新地の希望がある。だから、どんな虚無の中からでも一歩を踏み出すことができる」と励ました。

さらに、教会の伝道については「教会がうめくべきうめきをうめくとき、そのうめきの祈りに共振する人、ここに私の求めていたものがあると求道する人が必ず出てくる。私たちにはマラナタの希望があるから、うめくことができる」と語った。

セミナーでは宮村氏との質疑応答の時間も取られ、講義内容をさらに深めるときとなった。 (本誌・谷口和一郎)
リバイバル・ジャパン2013年10月20日号に掲載)