月桃通信(2)平和は人間の顔から 石原艶子 コラムニスト : 石原艶子

月桃通信(2)平和は人間の顔から 石原艶子
コラムニスト : 石原艶子
https://www.christiantoday.co.jp/articles/25901/20180810/getto-tsushin-2.htm

新基地建設阻止の集会で「負けられませんよ」と力強く発言する故翁長雄志知事=2017年8月12日、那覇市奥武山の陸上競技場で(写真:山本英夫撮影、ブログ「ヤマヒデの沖縄便りⅢ」より許可を得て転載)
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12:15)。この聖書のメッセージは、人間が人間であることの基本中の基本を語っていると思います。人間がこの共感する心と感性を失ってしまったら、この世は何と無機質な灰色の世界となってしまうことでしょう。聖書の御言葉に力があるのは、人間が人間として生きるということの命の本質を語り、問い掛けているからです。そして、そのことは決して難しいことではなく、私たちの日常の生活の中に息づいている当り前のことなのです。
ある牧師さんが「人の痛みを共有する。ここに人間の顔があります」と語ってくださいましたが、真に人間らしい顔とはどんな顔なのでしょうか。テレビの画面に映されるいろいろな人の顔を見ていますが、安倍首相と側近の閣僚方の顔を見ていると拒否反応が強く出てしまい、違う違う・・・あの顔は本当の人間の顔ではないと思うのです。
ロボットなのか、マインドコントロールに陥っているのか、血が通っていないのです。人間ではない人たちが権力の座に着き、うぬぼれた独裁者となり、この国の政治をしているのですから、良くなるはずはありません。平気でウソを言い、保身のためには何でもあり。質問に対してまともに向き合うことをせず、ただ二言目には「国民の財産と命を守るために全力を尽します」「沖縄の基地負担軽減に努力し、沖縄の人々に寄り添ってまいります」と口先だけのむなしい言葉を語り、現実は真逆なことを行っています。
ここ数年、顕著に現れている事件、事故すべてが、この国が内側から崩壊していることの危機を告げているように思えてなりません。親による児童虐待、学校でのいじめや自殺、身内の殺人事件、介護世代の深刻さ、高齢者や障がい者低所得者への冷遇、スポーツ界の組織的暴力と権力争い、腐敗と金権体質。在日の人々への差別と弾圧、沖縄差別と基地強行、何より急速に進行している格差社会のひずみ、その深刻な危うさ。地震津波原発事故、洪水、自然災害の多発、異常高温などの気候変動。すべての面で大変な時代を迎えて国民の生活は今後、ますます苦しくなっていくというのに、人間の顔を持たない権力者たちは一強の数の力をもって悪法を次々と成立させて、やがて平和憲法を改正して軍事大国のかつての夢を果たそうとしています。
このような状況の中にあっても安倍政権の支持率は下がらず、9月には三選もが視野に入る現実をどう理解したらいいのでしょうか。私たちがどんなに叫んでも基地は造られていく現実、軍事費は5兆円を超え不必要な軍事機器を米国から大量に買い入れ、米国の軍事産業を支えている日本、戦後ずっと米国に憧れ、米国を目当てに経済成長し、豊かになった日本、どこまでも米国追従の植民地のような日本、やがてその先に何が見えますか。もう既に格差社会は深まり、米国と同じ苦難を抱え始めています。目を覚まして声を上げなくてはなりません。血の通った人間として、泣く者と共に泣く人間だからこそ、次世代、またその次の世代のために、今の時代に生かされている一人一人の責任として声を上げ、なすべきことをしなくてはなりません。
キリスト者の方々が、聖書を学び祈っていたら社会問題に関わらなくても良いと考えるとしたら、それはとんでもない無関心、無責任であり、悪に加担することにもなると思います。聖書のメッセージ「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」とは、まさに今あるこの人間社会・・・それは社会問題のただ中に生きている人間としてのありさまだと思うからです。社会と人間は決して切り離して考えられない人間の命に関わる問題だからです。共に喜び共に泣く、人間の顔をした人でこの世がいっぱいになったら、そこに平和が生れます。政権を担う政治家たちがみんな人間の顔を取り戻したとしたら、この国は必ず変るでしょう。
沖縄の人々が明るく、受容力が豊かなのは、共に喜び共に泣く、肝(ちむ)ぐくるが生きているからです。平和は足元にあります。絶望の闇が深くても、私たち一人一人の真の人間としての存在の内側から確かな希望の光が差しているのです。それは神が与えた赦(ゆる)しの光なのです。
あなたの天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。(詩編8編4、5節)
《現場から》
◎翁長知事さんが7月27日に「撤回表明」されました。防衛局に9日での聴聞通知をしましたが、防衛局は1カ月程度の聴聞延期を求めてきました。これは「撤回」を8月17日の埋め立ての後にして、「撤回」を無効にしようとの企みであって、絶対に許せるものではありません、県はこれを拒否しました。私たちは9日に聴聞をするよう防衛局前に、7日と8日、70人ほどで座り込み要請行動をしました。防衛局はまったく私たちと向き合うことをせず、今後一切防衛局前での抗議行動をしないことを条件として出してきました。呆然(ぼうぜん)としましたが、ねばり強く、7日は強制排除されるまで座り込みました。
◎沖縄と向き合って話し合うということをまったくしない強権的な安倍政権のありさまはあまりにもひどく、沖縄は日本国民ではないのだと思えてきます。
◎この重大な局面で翁長知事さんが亡くなられたとのニュースは、あまりに突然で信じ難いほどでした。ショックと悲しみは表現できませんが、分かることは命を懸けて戦ってくださった翁長さんの遺志を私たちはしっかり受け継いで国と対峙して、「軍事基地を造らせない」戦いをしていかなくてはならないということです。9月30日が知事選です。悲しみに沈む厳しい沖縄のためにどうかお祈りください。翁長さんに心から〝ありがとうございました〟と申し上げ、ご冥福をお祈り致します。
人は肉体は失せても、その人の心と魂とは肉体として存在していたときよりもはるかに強く、私たちの内に生きて共にあるということは、沖縄戦を体験した人たちの内に今も働き語り掛ける魂たちの声「戦争は絶対にしてはいけない」を聞ていて、事実として分かることなのです。私たちは翁長さんの遺志と一つになって試練を乗り越え、戦っていきます。
翁長さん、本当にありがとうございました。沖縄のアイデンティティー「オール沖縄」で沖縄を真に愛してくださった政治家がいたことは、歴史に刻まれ、沖縄の立ち位置をこれからも教えてくれることでしょう。神よ、平和を愛する小さな基地の島、沖縄を憐(あわ)れみ、守り給(たま)わんことを。
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石原艶子(いしはら・つやこ)
1942年生まれ。16歳で無教会の先生との出会いによりキリスト者となる。全寮制のキリスト信仰を土台とした愛農学園農業高校に奉職する夫を助けて24年間共に励む。1990年沖縄西表島に移住して、人間再生の場、コミュニティー西表友和村をつくり、山村留学生、心の疲れた人たちと共に暮らす。2010年後継の長男夫妻に委ね、夫の故郷、沖縄本島に移住して平和の活動に励む。無教会那覇聖書研究会に所属。