日本教会史の専門家山口陽一先生とフェイスブック上の対話

日本教会史の専門家山口陽一先生とフェイスブック上の対話

山口先生→都内からの帰りに谷中を散策。1872年に横浜で日本人による最初のプロテスタント教会が生まれる契機となる初週祈祷会を提案した篠崎桂之助、日本基督公会設立時の長老で1877年に按手された最初の牧師の一人小川義綏夫妻、島崎藤村に洗礼を授けた小諸義塾の木村熊二夫妻の墓。

宮村→
谷中の墓地は、中高時代6年間身近。
さらに吉枝隆邦宅が谷中で、ペンケン祈祷会の会場だったときは、谷中への往復は、墓地の間を通って。
 徳川将軍の墓地については知っていましたが、上記の写真で先生が指摘くださっている墓地について知りませんでした。

山口先生→
陽一 宮村先生の庭ですね。この3つの墓を巡ると日本キリスト教史が立ち上がってきました。失われてほしくないものです。

宮村→
墓から立ち上がる、まさに復活信仰。
先程まで、新潟の中村先生と電話で話していました。
戦争中、日本に留まり、戦後の宣教師の活動に大切な手引きをした、メーベル・フランシス先生について。
さらに同様な活動を」した、アッセンブリーの女性宣教師について、胸を熱くしながら話しました。

1909年に来日したフアンシス先生は、わが母校ゴードンの初期ゴードン聖書学校の卒業生です。
 一度引退された先生が、やむにやまれず日本を訪問、各地で、内住のキリストについて語る力をなさったのです。
その際、TCCのチャペルでも証されました。話が終わった時点で、私は立ち上がり、心からの拍手を始めました。それに圧倒されたのでしょうか、かなりの方々が、歴戦の老婦人宣教婦人師に敬意の拍手を合わせてくださいました。