恩師渡邊公平先生について、敬愛する松谷好明先生と語り合う喜び コメント付加 再録

恩師渡邊公平先生について、敬愛する松谷好明先生と語り合う喜び コメント付加 再録

クリスチャントゥデイをめぐり、日本聖書協会までおかしな動きをなしつつあるとの報に接し、4年間の留学時代受手元に残っている便りを読み直しつ、主にある静かな闘志に満たされる。そして先に記したものをも思いめぐらす。 

 4月、移動の季節。その中で、敬愛する松谷好明先生が関西から八王子に移住なさったことは、私にとっては驚きであり喜びです。私のような者を、私自身以上に理解して下さり、お書き下さった文章≪宮村武夫著作『神から人へ・人から神へ「聖書・神学」考』、「歩きながら神学する愛と洞察の人、宮村武夫)を通して、しばしば励まされてきました。
 先日、電話でですが直接お話する機会を与えられました。幾つかのこと柄を話し合っている間に、1960年代前半渡邊公平先生が開拓伝道をなさった、八王子キリスト告白教会の主日礼拝に、松谷先生が二度出席なったと語られたのです。
 そのとたんに、私たち二人の主にある交わりに渡邊先生の存在が切り離せない恵みを、改めて悟りました。
 渡邊公平先生。今までに先生について書いてきた文章などを手掛かりに、先生をとして受けてきた恵みを思い巡らし、「聖書をメガネに」万物を認識する姿勢を整えて頂き、クリスチャントゥデイでの役割をさらに意識的、集中的にになっていきたいと思い巡らすのです。
 そうです。まず二つの文章を読み直します。

東京基督教大学の依頼で、公平先生のご召天直後に書いた短文

「渡邊公平先生からの学恩
宮村 武夫
 1961年4月、渡邊公平先生は、神戸改革派新学校から、日本クリスチャンカレッジへご転任。私どものクラスはそのとき4年生になったところで、1年間渡邊公平先生から組織神学と『神学と哲学』の授業を受ける恵みに預かりました。
 最初の一年、渡邊先生はご家族を神戸に残られ単身赴任、学生寮の一室で生活なさいました。そのため毎晩のように先生を私は訪問、幼稚なしかしその当時の自分なりには真剣な課題をめぐり質問をなし、先生からも真剣なお答を受け、こうして生涯を貫く神学的基盤が据えられました。
 卒業後1年間は、週に一度埼玉の寄居から浜田山まで通い、ベルクワーのGeneral Revelationの通読中心にご指導を受けたのです。
 1963年から1967年の留学時代、渡邊先生が書き送ってくださった手紙の内7通が手元にあります。今、ここで一通一通を味読し、生涯の恩師を偲びます。
 また説教と講義、何よりも目の前にいるお一人お一人お一人との対話において、聖霊ご自身の導きによるしなやかな喜びを注ぎ続け、渡邊先生からの学恩に報いたい、そう思い定めているのです。

★沖縄滞在中、1999年からセンド書く際宣教団のもと日本センド派遣会での働きをも担う中での書いた説教

「すべての国々よ。主をほめたたえよ。
すべての民よ。主をほめ歌え。
その恵みは、私たちに大きく、
主のまことはとこしえに至る。」
詩篇117篇Ⅰ、2節)

     
詩篇117篇と主にある二人の方』

[1]序
(1)今朝は、首里福音教会から比較的近い、いわば隣の教会とも呼ぶことができる石嶺バプテスト教会主日礼拝の宣教を担当しています。

(2)聖書箇所は、詩篇117篇、宣教題は、「小さく、雄大詩篇―世界宣教の源泉―」です。この二つの組み合わせとの関係で、主にある二人の方を今朝特に覚えるのです。
一人は、石嶺バプテスト教会出身の方で、現在ネパールへの宣教師として働いておられる、東風平巌宣教師。もう一人は、私にとって生涯の恩師渡邊公平先生。

[2]東風平巌宣教師
 東風平巌宣教師ご夫妻は、三人のお子様と一緒に、ネパールの地で地道な働きを進めておられます。沖縄バプテスト連盟を中心に、その働きを背後にあって祈り支える諸教会と宣教師ご家族を結ぶ、大切な要の役割を果たしている宣教師の母教会の主日礼拝に出席、主にある方々と礼拝を共にすること、感謝です。
 巌宣教師は、琉球大学に在学中、長田兄の研究室で開かれている聖書研究会に参加しておりました。特に海外青年協力隊の一員としてアフリカのザンビヤの学校で理科の教師として働かれたときのことを思い起こします。送られて来る手紙には、アフリカの現地で出会った事々や観察、健康の課題や趣味の音楽など身近な話題についても報告されていました。あの時の経験が、東風平先生の今日ネパールで働かれる備えとして、主の御手にあって豊かに用いられる様を見て、沖縄の一人の大学生が世界宣教に従事するまでの経過の尊さを覚えます。

[3]渡邊公平先生
 詩篇117篇を読む度に、一つの場面を思い出します。渡邊公平先生が、千葉へ移ったばかりの東京キリスト教学園の大学と神学校合同の礼拝で詩篇117篇に基づき宣教なさったときのことです。この小さい詩篇にこめられている雄大なメッセージが語られました。目をつぶると、そのときの先生の姿が浮かびます。
昨年11月18日(金)に主のもとに召された渡邊先生について書くように東京基督教大学の係りの方から依頼を受け、以下のようなことを記しました。
「1961年4月、渡邊公平先生は、神戸改革派新学校から、日本クリスチャンカレッジへご転任。私どものクラスはそのとき4年生になったところで、1年間渡邊公平先生から組織神学と『神学と哲学』の授業を受ける恵みに預かりました。
 最初の一年、渡邊先生はご家族を神戸に残され単身赴任、学生寮の一室で生活なさいました。そのため毎晩のように先生を私は訪問、幼稚なしかしその当時の自分なりには真剣な課題をめぐり質問をなし、先生からも真剣なお答を受け、こうして生涯を貫く神学的基盤が据えられました。・・・1963年から1967年の留学時代、渡邊先生が書き送ってくださった手紙の内7通が手元にあります。・・・一通一通を味読し、生涯の恩師を偲びます。また説教と講義、何よりも目の前にいるお一人お一人との対話において、聖霊ご自身の導きによるしなやかな喜びを注ぎ続け、渡邊先生からの学恩に報いたい、そう思い定めているのです。」

 この文章を読まれた、敬愛する後輩がメールをくださいました。
『宮村先生が渡辺公平先生から、この文章に書かれたようにして神の恵みを、そう、小鳥が母鳥から口移しで餌をもらうように受けられたのだということを初めて知りました。そういえば、私自身も、そのようにして先生方から神の恵みを受けてきました。感謝。』」

[4]結び
 詩篇117篇が指し示す世界宣教、その働きを担う一人一人の役割を覚えます。また一人一人の交わりが、次々と広がり行き、世界宣教へと通ずるものであることを、わずか2節の小ささ、しかし雄大詩篇117篇を通して改めて教えられます」。