『底に徹した聖書信仰・徹底した聖霊信仰』  ヨハネの福音書14章12節〜17節  2011年3月27日(日)那覇バプテスト教会

『底に徹した聖書信仰・徹底した聖霊信仰』
 ヨハネ福音書14章12節〜17節
 2011年3月27日(日)那覇バプテスト教会

★沖縄での宣教の機会、特別に喜びです。

[Ⅰ]序
(1)おはようございます。
今朝、那覇バプテスト教会主日礼拝に出席できる恵み、心より感謝します。
その背後に、ご真実な父なる神の確かな導きを覚えます。ハレルヤ。

①2009年12月18月脳梗塞を発症し入院、多くの方々の背後の祈りと支えを受け、リハビリを日に3時間継続しながら、100日余り各種の医療従事者にすっかりお世話になりました。それは、実に楽しい短期集中の留学でした。
お蔭様で4月2日に退院することが出来、さっそく4月4日には、そうです。ここ
那覇バプテスト教会イースター礼拝に出席、国吉先生をはじめ、皆様に喜んで頂きました。主の驚くべき復活の事実に対する、小さな小さな復活の証しと、ある方のことばに励まされて、主イエスの復活の事実は私の体にも確かに及んでいるとあえて言い切りたいのです。

②あのイースター礼拝からの1年間、それは喜びカタツムリの歩みであり、心に満たされ溢れる喜びの日々です。
確かに不自由な左手・指や杖を用いて三階のアパートへの上り下りなど、思わぬことで我が身の弱さを経験することもあります。しかし同時に恵み深い支えを時に応じて味わい知らされ、楽しくて楽しくて仕方ないのです。
数多くの恵みのうち、ひとつだけ報告させてください。
週二回、通所リハビリ施設・つばさに通っています。思いがけずも、いいえ主の摂理の導きの御手の中で、当教会の仲地姉妹や兼島兄弟とそこでお会いしました。
私たちは、花のリハビリ同期生です。メルともならぬ杖友、ステッキ・フレンドなのです。私たちの主にある交わりは、確実に静かに波紋のように通所リハビリ施設・つばさの人々の間で広がっています。

(2)そこで今朝、喜びカタツムリの喜びの源、そうです、喜びの源泉、聖書が証言する恵みの事実に心を集中したいのです。
先ほど読んでいただきました、ヨハネ福音書14章12節―17節を、『徹底した聖書信仰・徹底した聖霊信仰』との主題で味わい、心に深く聖霊ご自身に刻んでいただきます。
 
主イエスのご人格とことばとみわざを味わい深く伝えるヨハネ福音書
その中で14−16章は際立ちます。慰めに満ちた助け主・聖霊ご自身を主イエス様が約束なさる恵みの事実を中心としています。その中で14章12節―17節、特に15節と16節に焦点を絞ります。

[Ⅱ]ヨハネ14章15節、「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」
「あなたがたが、あなたがたは」と繰り返されています。
(1)「あなたがたがわたしを愛する」(15節)
①「あなたがた」は、
直接には、主イエスの弟子・使徒を指すのは、明らかです。
さらに最初にヨハネ福音書を読んだ人々を
著者ヨハネが含めていることも、これまた明らかです。
そして2000年の間ヨハネ福音書読んできた数限りない人々。
何よりも今朝、ここ那覇バプテスト教会ヨハネ福音書を読んでいる私たち一人ひとりに対し、「あなたがたが、あなたがたは」と親しく個人的に呼びかけられています。

聖霊ご自身の導きによる、恵みの波紋の広がりのただなかで、いま、ここでヨハネ福音書を私たちは、読み味わっているのです。驚くべき恵みです。

②「わたし・イエスを愛するなら」
聖霊ご自身と愛の固い絆です。愛は聖霊に委託されております。ですから、聖霊ご自身の働き・助けがなければ、私たちは愛することができないのです(隣人への愛も神への愛も)。徹底的に聖霊ご自身に頼らざるを得ません。底に徹して聖霊ご自身に頼っていいのです。
(2)「あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」(15節)
聖霊ご自身の働きがなければ、キリストの戒めを守ることはできない。イエスを主と信じ愛して生きるとは、イエス・キリストの戒め・ことば・聖書に聴従する、聴き従い生きることです。
愛とことばとばは、不可分です。決して切り離せません。
ことばもことば、神の言葉・聖書についての根源的恵みの事実を聖書自身が宣言し、明言しています。
Ⅱテモテ3章16,17節。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」

「聖書はすべて、神の霊感による」とは、聖霊の導きのうちに聖書記者を通して聖書かれた事実を意味します。
その聖書を私たちが読むとき、聖霊ご自身の確かな導きにより、みことばが私たちの心に刻み付けられ、生活・生涯、教会形成、文化活動、歴史形成に現れ結実、実を結ぶのです。
そうです。『徹底した聖書信仰・徹底した聖霊信仰』
この一本道を進むのです。

その過程で日常生活がいかにも重要であり、鍵です。
Ⅰコリント10章31節
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」

[Ⅲ]ヨハネ14章16節、聖霊ご自身について二本の柱
「わたし(キリスト)は父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主(聖霊ご自身)をあなたがたにお与えになります」(14章16節)
(1) 聖霊ご自身は三位一体の中。三位一体、永遠の愛の交わり。
聖霊ご自身は父と、また子と同質(神性)であり、かつ永遠。
 唯一の神       父は神
 統一性   同時   キリストは神    区別性
            聖霊ご自身は神

(2)キリストと聖霊ご自身の不可分の密接な関係。
(イ)Ⅰコリント12章3節
聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』と言うことはできません。」
(ロ)ルカ4章18節〜21節、聖霊が注がれ、キリストの御業の展開。

[Ⅳ] 集中と展開
(1) 集中「すでに」
「はじめに神」創世記1章1節
詩篇119編64節、恵みの先行
「【主】よ。地はあなたの恵みに満ちています。
あなたのおきてを私に教えてください。」

聖霊ご自身と聖書に導かれ、つねに改革され続ける教会。
宗教改革プロテスタント教会の本来の歩み。

(2) 展開「ますます」
イエス・キリストによる約束、その完全な成就・完成は、「いまだ」。
終末論的信仰(主イエスの再臨、新天新地)に、聖霊信仰は深くかかわる。自己満足と絶望から解き放ち、忍耐と希望の道。

「もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。」(ローマ8章25節)。希望と忍耐→喜びカタツムリの道です。
 那覇バプテスト教会が、『徹底した聖書信仰・徹底した聖霊信仰』
この一本道を進み、豊かな実を結び続けることを確信し、祈ります