1963年8月―1967年9月、ニューイングランド留学中、恩師渡邊公平先生から頂き、手元の残っている便り7通 その6

1963年8月―1967年9月、ニューイングランド留学中、恩師渡邊公平先生から頂き、手元の残っている便り7通 その6

★1966年4月6日
「謹啓
うれしいお便り拝見しました。早速差あげるべき返事をおくらせお許し下さい。やっと入試関係(第二次も)のこと終った所です。30名募集中の所、男子13名、女子15名に落着きました。
さて、まず第一に、プリンストンへの推薦状の件きいて驚きましたことを記します。実はあなたの仰せの通り、推薦状を送って、そして昨日のことのように考えておったのに早くも、二月一日には、「Your statement will be very helpful to the Admission Committee in evaluating this application・・・」の返事をいただいたので安心しておったのでした。残念だと思います。でも、ハーバードでもよいでしょう。良い勉強の機会をつかんでやって下さい。注①

TCCはやっと軌道にのったわけですが、問題が山積みして、あきれかえっています。名のみの教授があるばかりでなく、前々からわかり切っていたのに、加わり、そして去り離れていったため大きな穴がそこにできたことによる困難性とこのことは又、文部省に対しても重大なこととなるという問題性ともっていることからもわかるでしょう。今までのように、誰でもとはいかず、資格審査もあるからです。
以上のことは、私たちだけの、この地の問題ですから、どうにかなるでしょうから、あなたは、最も好い環境の中に置かれているのですから、その好機を励みの時として利用して、しっかりやって下さいとのみ言いたいです。
佐藤君によろしく御伝言下さい。
主にあって
宮村兄
渡辺 生
四月六日」

注①ゴードン卒業後、学びを続ける場として、ゴードンのマイケル先生は、4つの教育機関を推薦してくださいました。それに私が一番行きたかった、ニューヨークのユニオン神学校を加え受験しました。
ところが一番可能性が高いと思われたプリンストンを含め、次々と不合格の連絡が届き、最後にハーバートから合格の通知が届いたのです。
 それで、他に行くところなく、ハーバートに進んだのです。
渡邊先生のプリンストンに対して、「残念だと思います。」との言葉と、「でも、ハーバードでもよいでしょう。」が、あの時の先生のお気持ちをよく伝えています。「良い勉強の機会をつかんでやって下さい。」との渡邊先生の激励に応答でき、感謝でした。