留学中(1963年―1967年)、父泰二、母典子から手紙、先のものに加え、さらに6通、その5

留学中(1963年―1967年)、父泰二、母典子から手紙、先のものに加え、さらに6通、その5

★矢倉光子姉が打ち込んでくれました、留学中(1963年―1967年)の両親からの手紙さらに6通、感謝

☆1967年春 父泰二よりの便り
「御便りなつかしく拝見致しました。君代さんも其の后順調の由母も喜んでゐます。学業終了を目前にして勉強に生活にさぞ気忙な日時と思ひ至るも体を大切に。
 さて君代さんの出産等を考へ合わせると異郷の地ではさぞかし心細いだろう。経費等の事もあるので矢張り岩手が一番君代さんも心強いと思ふが両人で相談の上最善の道を選ぶ様に。

 当方も昨年中は母が二度も入院。随分心配したが今年は正月も一緒に揃って迎えたが、矢張り外などは出ず気を付けてゐたが、二十日程前から風邪気味をこじらせ、又々寝込んで毎日、近所の医師が朝晩往診に来てくれてゐる。様子を見て、余り具合が悪くなれば入院とも思ってゐるが、今の案配では自宅でと医師も申してゐるので暖かくなればと期待して居ます。
 恵美子も試験休みの一か月余を母のそばで、時には文句も云ふが付き切りで面倒を見てゐました。そして学期が始るとY.M.Cの英会話に申込んだので多忙を極める事でせう。
 三郎も高校進学して過日入学式に私も出掛けました。今度は大学の入学に関係してくるので頑張らないと大変です。
 義男も朝一緒に車でスタンドに行き、帰りは私が早く帰るので七時過ぎ迄残務整理等してくるので、フーフー云ってゐます。
 ママも美喜子が中々元気にとび廻るので中々大変です。

 尚、母から君代さん帰るに付いて費用等も大変だろうと寝てゐても心配し20万円位なら送金できるが、そちらの様子で至急御返事下さい。
 ラーメンは近日中に送る予定です。
 私も毎朝早く起き、時には出勤前に美喜子と散歩。帰宅後又散歩と云った平凡な日々を送って居ます故、安心する様に。
では後日又」