留学中(1963年―1967年)、父泰二、母典子から手紙、先のものに加え、さらに6通、その4

留学中(1963年―1967年)、父泰二、母典子から手紙、先のものに加え、さらに6通、その4

★矢倉光子姉が打ち込んでくれました、留学中(1963年―1967年)の両親からの手紙さらに6通、感謝。

☆1965年秋 母典子より
「其の後お変わりありませんか。日本もすっかり秋も深まった感じです。
先日は写真とお金受け取りました。郄木の叔父さんの不幸があったりして、ついつい御無沙汰して居りましたが、先日お話しのガウン、あちこち見て来ましたがナイロンのふわふわしたのが流行の様で中々思ふ様なのがなく結局三越のあの品を送りました。丈は長い様でしたが、袖が七分位なのでどうかと思いましたが、日本風と言ふとあの程度なのですが如何だったでせう。色はあの外エンヂ、紫とありましたが、派手なのがよいかと思って、赤にしました。値段はガウンが五千八百円、送料荷送料等で千百三十円程でした。之は相手の方から貰えたらそちらで使って貰ふ積りで居りましたが、私の手紙がのびのびになって先にお金を送って頂いてすみませんでした。九月十九日に頼んでありますから、もう入手された事と思います。

 先日ウィットモアさん(出席教会の知り合い、日本との貿易の仕事)に面会に、お父さんと義男が帝国ホテルへ行きましてお目にかかって来ました。其の節は可愛いおもちゃをありがとうございました。義男達も大変感謝して居ります。
 台湾の帰途又寄られると言ふので、セーターを持って行って頂けたらとおとどけしました。もし大きくて持っていけない様なら、フロントへ預けて置いて頂く事にして帰って来ましたが、今日(26日)ホテルへ電話しましたら三四日前立たれたそうで、荷物も預からなかったとの事ですから、そちらへ持って頂けたのだと思います。セーター二枚の内一枚どちらかウィットモアさんに差上げて下さい。厚いのは君代さんが寒い時一寸着るのにどうかと思いますが・・・・預かってあるオーバー等も送った方がよいでせうか、お知らせ下さい。
 進学の方は決定しましたか。経済的には何とかして居られる様で安心しましたが、それだけに随分毎日仕事が大変なのではないかと思います。日本も大分物価があがり収入が中々それにともないませんから、中々皆生活が大変の様ですから、今後帰ってからの事も考えて置かないと大変と思います。
 
 美喜子も日増しに可愛くなって来ました。まだ寒さもそれ程でもありませんので、乳母車で公園まで散歩する様心がけて居ります。毎日お風呂に入れるのと、散歩をする仕事が出来たので、今の処、体の方も割に元気です。此の分で一冬過せたらと思ってゐます。
 恵美子も最後の高校生活で勉強をはげんでくれるならよいのですが、遊ぶのに毎日忙しい様です。行かれたら短大位は出したいと思ってゐます。
 三郎も幾らか勉強する様になりましたが、中々効果はあがらない様です。義男は今人手がないので中々大変です。でも人の子の親ですから一生懸命やって貰わねばなりません。

 随分そちらは景色がよい様でうらやましい様です。紅葉でも見に行きたいと思っても中々出られませんが、紅葉した木々にかこまれ美しい湖を眺められる御地はそれだけでも楽しいものと思います。冬に向って一層お体に気をつけて下さい。
母より
武夫 君代どの」