留学中(1963年―1967年)、父泰二、母典子から手紙、先のものに加え、さらに6通、その3

留学中(1963年―1967年)、父泰二、母典子から手紙、先のものに加え、さらに6通、その3

★矢倉光子姉が打ち込んでくれました、留学中(1963年―1967年)の両親からの手紙さらに6通、感謝。

☆1965年秋 父泰二よりの便り
「御便りと写真有難う。久し振りに元気な二人の姿を見て、安心致しました。愛車も想像して居た以上に立派なので皆大喜びでした。
 東京も今日此の頃朝晩めっきり肌寒さを感じる様になりましたが、母を初め元気です。
 家内の皆の近況を報告致しますと、先ず話題の人、美喜子は同封の写真の様にすっかり大きくなり、あやすと声を立て笑ふ様になり、時折腹ばひにすると、首を持ち上げキョロリキョロリとあたりを見廻して居ます。そして日曜日にはデラックスな乳母車に乗り浜町公園など散歩です。
 
 母も夏の中は美喜子の世話で忙しくなり、すっかり寝込む事を忘れた様ですが、寒さを迎えると例年の様に具合が悪くなると大変と目下自重致してますが、先日など新宿の小林さんと車で山梨迄行った程元気です。
 義男は猫の手が不足して居るので経理と給油で二人分働くので、家へ帰ると寝る事ばかり考へて居ます。
 時々夜食後の散歩に杉浦の子や、三郎、恵美子、征四郎、和男の面々を引連れ、コロンビヤでコーヒーをおごり、いい気持ちになっている様な平和な日々です。
 てる子さんは朝から晩迄美喜子の世話で母共々目の廻る様な忙しさで過日親子三人で岩井に行きまして、あちらの両親に美喜子の成長振りを見せて来ました。
 恵美子はお花、日本舞よう、バレーと公私多忙で一日中忙しい忙しいを連発して、美喜子をあやすのも時間が惜しいくらひあわただしさ。
 三郎は家庭教師の先生の来ない日は母から勉強勉強で、すっかりねを上げて居ます。
 尚、中村の叔父達が勤務先の関係で松戸へ引越して来ました。前日曜日に行って来ましたが大変駅からも近く、静かな場所です。近くなったので宏も遊びに度々来る様になると思ひます。
 郄木の伯父が十月六日に老齢のため死去致して昨十二日納骨致しました。ついでの時府中に御見舞の便りする様に。

 御依頼のガウンは先頃船便で送ったのですが、近く届く事と思ひます。
では元気で良い日々を過ごされん事を
父より
武夫 君代 殿」