留学中(1963年―1967年)、父泰二、母典子から手紙、先のものに加え、さらに6通、その2

留学中(1963年―1967年)、父泰二、母典子から手紙、先のものに加え、さらに6通、その2

★矢倉光子姉が打ち込んでくれました、留学中(1963年―1967年)の両親からの手紙さらに6通、感謝。

☆1965年春
「君代さん其の後手の火傷は如何ですか。
武夫からの手紙が十日に着き始めて知って、びっくりしました。知らぬ土地での入院定めし心細かった事と思います。でもきづの跡が残らないさうで何よりでした。油は之からも使う事が多いでせうが、器具にも慣れづ危険な事もあるでせうから、くれぐれも注意して下さい。

 同封の写真うれしく拝見しました。大変よくとれてゐるし、何より現実に式の無事にすんだ事が解って安心しました。多勢の人に祝福されて盛大に式を挙げる事が出来た事は親として本当にうれしい事です。
 お父さんも毎日スタンドから帰ると手紙は来たか写真は来たかと聞いて居りましたから、定めし喜ぶ事と思います。書きおくれましたが、お父さんは十二日までユニバーサルの招待で山陰地方の旅行に出て居ります。
 てる子さんも此の処スタンドにも行かない様にして何かと出産の準備に追われています。でも丈夫なのでたすかります。きっとお産も軽いでせう。
 訪問着も着て見ましたか。中国服も喜ばれる事と思います。ウェディングドレスも本当によく似合ってゐます。後の写真が待ち遠しい様です。武夫の手紙に依れば近くに仕事がある様で何よりでした。生活の方は大丈夫ですか。一番心配です。

 湖が見えたり、リスが来たり何だかおとぎ話の中の景色の様ですが、そんな中で生活出来るとは一寸羨ましい様ですが、之も或る程度生活に追われない境遇の中での事です故、どうぞ早目に計画を立てて善処して下さい。
 北上の御両親もお元気の事と思いますが、時々お便りあげて下さい。お母さんも随分淋しく思っておいででしょうから。
 信子の結婚式もいよいよ迫って人事ながら気が落ち着きません。
では二人共体に気をつけて下さい。

君代さま