留学中(1963年―1967年)、父泰二、母典子から手紙、先のものに加え、さらに6通、その1
留学中(1963年―1967年)、父泰二、母典子から手紙、先のものに加え、さらに6通、その1
★矢倉光子姉が打ち込んでくれました、留学中(1963年―1967年)の両親からの手紙さらに6通、感謝。
☆1965年 初春 母典子より
「手紙拝見しました。
着々と式の準備も出来て居ります様で安心しました。こちらでもやっと手続きが出来て今日辺り飛行機の切符も手に入る様な話でした。まだ君代さんからは連絡がありませんが乗る日も決定した事と思ひます。荷物も一度送る分だけは先日運送屋に渡しましたが、船は三月になるらしくやっと式に間に合ふ程度だと思ひます。何しても周囲の皆さんが親切にしてくれます様で感謝して居ります。
私達も思ふ様にしてやれなくて心苦しく思って居りますが、君代さんも働く事を少しもいやがって居りません様ですし、必ず貴方にとってよい奥さんになってくれる事と思ひます。只二人とも無理をして体をこわさぬ様。之だけを祈って居ります。お土産物も中々思ふ様なのがありませんでした。なるべく軽い物がと思ってえらびましたが、適当に二人で差上げたらと思います。後は食べ物を当日持って行く様にする事になって居ります。
後はYシャツと指輪ですが、今度君代さんが来た時、手に入れる積りです。印刷物の事も君代さんから聞きましたが、文面、あて名を連絡して下さい。
先日中村の叔父さんが上京して一泊しまして貴方達の事を心配して居りました。叔父さんも一郎をなくして(年下の従兄弟、大洗で水難事故死去)すっかりしょげこんで居りますから、ひまがあったら手紙をやって下さい。やっぱり子供は三人以上あった方がよいとつくづく思います。
貴方達も学校の方がすんで帰国したらどんどん子供をつくる事です。金の有無よりやはり家庭です。中村のところでは今の処経済的には何の心配もない様ですが、一郎の死で本当に気の毒です。叔父さんも最近大分一郎の将来に期待をかけていた様なのでショックもひとしおです。
今日てる子さんの実家から結婚祝いとして一万円頂きました。結婚式がすんでからでも二人で礼状を出して下さい。
今日の手紙で安心しましたが、どうぞ体に気をつけて下さい。東京も先日中は大変な暖かさで冬の寒さを忘れましたが、二三日前から又寒さがぶり返されて今日も大分寒い日でした。私も体を悪くしてはつまらないとなるべく外出しない様にして居ります。貴方達が帰国して一家を持つまでは何としても元気でいたいと思って居ります。
では何かと忙しいでせうが、日本で買って行った方がよい様なものがありましたら知らせて下さい。
母より
武夫どの