留学中(1963年―1967年)、母典子からの手紙、先のものに加え、今回新たに5通、その5

留学中(1963年―1967年)、母典子からの手紙、先のものに加え、今回新たに5通、その5

★母典子は、1970年10月25日、50代の半ばで死去しました。50年近く前のことです。しかし矢倉光子姉が打ち出してくれた手紙を読むと、母の声が聞こえるようです

 正月も二十日になりました。今年は大分寒さが厳しい様です。御地の寒さが思いやられます。
 先日の君代さんの便りで元気にクリスマス、正月を迎えられた様で安心いたしました。暮から便りがなかったのでどうかしたか、寄居の先生のところへ行って見様とお父さんも言って居りました処への手紙で本当に安心しました。
 私も暮から熱を出さづに割合元気にして居ります。去年は正月十七日から入院したのですから、今年はそんな事のない様にと注意して居ります。

 君代さんの便りで子供が出来たらしいとの事でしたが、やはり本当だったでせうか?出来ない様にと余り無理な事をして帰ってから本当に出来なくなっては大変と心配して居りました時でしたから、本当にうれしく思いました。可愛らしい男の子でも産まれたらと楽しみにして居ります。でも丁度帰国する時分になるのではないでせうか。そちらで出産としても何だか心配ですが、後便を待ってゐます。

 美喜子もますます元気でオシャマになりました。もうたいがいの事は言える様になりました。やっぱり何彼とうるさい事もあるかも知れませんが、子供がなくては駄目です。学校の方も随分忙しい様ですね。体には注意して下さい。でももう先も見えている事ですし、今一ふんばりですね。

 君代さんは今居る家で働いてゐるのですか。どんな仕事なのでせう。つわり等どんなかと陰ながら心配して居ります。暮れもお金を少し送ろうかと思いましたが、三万やそこら送ってもそちらでは大した事もないでせうし帰国すれば家具等で少しは必要だろうと思い送りませんでした。もしさし当って入用なら寄居の先生にお願いして送ります。
ではまだまだ寒さもこれからですからお二人共体に注意して下さい。
ついでの時先日の学校の本の事、学校の図書室なり手紙を出して置いて下さい。長くなくても差しつかいはないと思いますが・・・・
では又便りします