アラスカと私、その1

アラスカと私、その1

★1977年10月、母校への訪問旅行の際、アラスカに寄りました。
アラスカは、私にとって特別な地の一つです。生涯の段階で書いてきたものを連載します。日本からのアラスカの祈りが起こされ、継続されることを願いつつ。

『礼拝の生活』110号
(巻頭言)「アラスカの教会のために」
 
クリスマス礼拝における特別献金は、青梅キリスト教会の直接の必要以外のためにささげようとの願いが、今年も実行されます。
11月の教会役員会では、幾つかの候補の中から、アラスカの教会のために献げることを決定しました。アラスカの教会が、私たちに身近に感じられるようになったのは、幾つか理由があります。
まず、一昨年の夏、私たちの間で奉仕してくださったラップ宣教師の弟さん・ヘンリーさんご夫妻が、今アラスカで医療伝道に従事していることです。ヘンリーさんたちを通して、アラスカの教会が急に身近に感じられるようになったことは、私たちに対するひとつの恵みです。
さらに、この夏、アラスカで宣教師として働いてきたギャリー先生のあかし(宣教旅行中嵐に会い、ご主人と赤ちゃんが召された。しかしその後も、アラスカで宣教に従事)を伝え聞き、新しいチャレンジを与えられました。
また秋には、中央アラスカ栓教団(クルセードの一部)の責任者ランポ−先生が夕拝で話してくれました。こうした幾つかのことが重なって、アラスカの教会が私たちの祈りの課題となってきました。
 
中央アラスカ宣教団は、医療伝道,ラジオ伝道、学校の外に、教会形成の働きも続けています。その中でコッパー・センターにある教会は、会堂を建設中で、経済的な必要があるとのことです。私たちの今年の特別献金を、その必要のために献げます。
アラスカの働きについては、入口の地図を参照してください。イエス・キリストの福音は全世界で宣べ伝えられています。

★アラスカの教会は、私の歩みにとって重い意味を持ちます。
ここでは、一つのことだけお伝えします。

中央アラスカ宣教団の創設者・V.ジョイが高校時代に主イエスとの約束した文章について、1987年4月19日のクリスチャン新聞の連続コラム・『季節の窓』に、
「高校入学の兄弟へーアラスカ開拓のジョイ宣教師―」という題で、実際に私たちの心友の高校生の息子に送った手紙の中で紹介しました。以下のものです。

「K君。高校生としての新しい出発おめでとう。
昨年のクリスマスの時期、K君が洗礼を受けるとのうれしいニュースを君のお父さんからの便りで知り喜んでいました。
『先生がお祈りくださいました通り、小学1年生の時の事故は息子にとって大きな意味を持つようになりました』との言葉で、あの交通事故の直後病院に駆け付けた時の事を改めて思い出しました。

そして今度は高校入学とうれしいニュースが続きました。高校生としてどんな期待をもって、この4月を迎えているのでしょうか。
K君と言えば、私にとってはいつまでも小学生時代の印象が強いのです
が。
K君の高校入学を聞いて、一人の高校生のことを思い起こしています。
それは、V.ジョイ。アラスカ中央宣教団の創立者です。1914年生まれで、1929年に主イエス・キリストを信じる信仰へ導かれたのです。
高校生のジョイは、ある友人にキリスト信仰の証を続けていたそうです。

ある日、その友人と共にグランドを走っていました。やがて学友とジョイは、競技場のそばに立ち止まり、ともに祈り、その友人は、主イエス・キリストを信じるように導かれたのです。
この時、主なる神はジョイにアラスカへ行くように語られたと言うのです。
彼はこのことを人々に十分説明できなかったのです。
しかしその後、病院で働きながら実際的な訓練を受け、また大学や聖書学校で学びを続けました。
そして1937年ベッキー夫人と共に、広大な広がりを持つアラスカのコパー流域に宣教師としてやって来るのです。文字通りの開拓者としての生活を通し宣教活動を続け、現在放送局、病院、聖書大学などと共に、アラスカからカナダのユコン地方に及ぶ広範囲の地域で宣教活動を展開しているアラスカ中央宣教団の基礎を築き、着実な歩みを継続したのです。

K君。このようなことを書いてきたのは、ジョイ師が1966年8月31日突然召されるまで用いていた大型聖書を、ベッキー夫人に見せて頂いた時の事を、高校生として歩みを始められる君にお伝えしたいからです。

聖書の扉の部分に、1930年1月1日の日付で、「私の救い主、私の王との個人的な契約」が書き記されていました。1930年1月1日、つまり、ジョイが16歳でキリスト信仰に導かれてからⅠ年後の高校生時代の日付です。

その大型聖書は、1947年以降に出版されたものですから、ジョイが33歳を過ぎたいずれの日にか、高校生時代主なる神との個人的な契約として書き記した文を新しく書き直し、死に至るまで大切にし続けていたのです。全文は以下のものです。

「主よ。私は、自分の様々な目的、計画、すべての欲求、希望、野心を放棄し、私の生涯、私のすべてを、神よ、ご自身のものとして御前に完全に献げます。
すべての私の友情を、御前に明け渡します。私が愛する人すべては、私の心の中で決して第一の座を占めません。
主よ。ご自身の聖霊により満たし、証印を押してください。主なる神ご自身の意志を、私の生涯において成し遂げて下さい。
私の王よ! いかなる犠牲を払っても、今後いかなる時も、従い続けます。いかなることが起ころうとも、地上でなすべき使命を果たし終えるまで、主よ、ご自身に従います。そしてやがて……永遠にご自身と共に! アーメン」

この文章の下に、二つの聖書箇所が記されています。
「平和の神ご自身が、あなた方を全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリスト
来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、またしい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。」(Ⅰテサロニケ5章23、24節)

「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」(ピリピ1章21節)

K君。イタリヤ系のジョイ父子は実に愉快な親子だったそうです。二人の間のものを含めジョイの手紙が集められ出版されています。
四月からの日々、様々な背景から集まる新しい友人たちと共に愉快な高校生活を過されますよう
に」

現在、あのK君は、国際基督教大学で、歴史学教師として活躍しています。
主の御名を崇めます。