1977年10月、ニューイングランドの母校訪問を中心に旅行。君代からの手紙 その2

1977年10月、ニューイングランドの母校訪問を中心に旅行。君代からの手紙 その2

★旅行の第一の目的、初め目指したのは、ボストン近郊の母校でした。
それが、君代があきれていたのですが、ハワイ、フィラデルフィアデトロイト、カナダ・トロント、アラスカと途中寄ることになりました。

君代からの手紙 その2
「頌主
 この手紙が届く頃、アラスカについていると思います。そちらは秋というより、冬に近い感じでしょうね。
青梅も、今朝はとても冷えてストーブがほしい感じでした。
 明日(21日)は、いよいよもみの木幼児園の遠足です。大体、準備はうまく行っていると思います。今日は雲が広がっていて、肌寒い感じなので、天候が心配です。現地でのスケジュールもスムースに運ばれる様に願っています。
 昨日の家庭講座は、欠席者が目立って23名でした。
実際的なしつけの話でしたが、それなりに、皆興味深く聞いていました。・・・
 日曜日の映画会は少し淋しい感じがしないでもありませんでしたけど、やって良かったと思います。・・・
 映画の内容も良かったと思います。忍望も、身を乗り出すようにしていたので、彼なりに興味を持って見ていたようですよ。
 
 ところで、子供たちも元気にしています。太郎君の方は相変わらず何を考えているのかわからない感じですが、好きな様にやっています。
 忍望は、2,3回、「お父さんがいないとつまらないね」と言っていしたが、・・・先日の日曜日に、「お父さんがいなくて淋しいか」と聞かれて、「うん」と言っていました。ちょっとしょんぼりしかけたので、すぐ話題を変えて、その場をきり抜けました。淋しいのをがまんしているのかもね。このところ少しいらいらしている感じもします。

 それから、先日の電話の時に言い忘れたのですけど、三郎ちゃん(末弟、現足立キリスト教会牧師)が急に帰ってきました(フランスで映画の勉強)。この間のハイジャックの影響らしく、ビザをのばすのがうるさいとの事、又南フランスの仕事も延期になったとか、お金もないしと言っていました。貴方がカナダに行くこととても期待している様でした。こちらから送った荷物が、まだ届かないうちに、向こうを発って来たようです。
 面白いことに、三郎ちゃんは、私たちが木村さんを見送りに行っている時に着いたんですよ。話しているうちに分かったのですが、私と宣雄君が、1時半過ぎに着陸した飛行機を見て、「どこの国の飛行機だろう」と話していたパキスタン航空のものに乗っていたんだそうです。わかっていれば迎えに出られたのにと残念でした。

 貴方からの手紙ですが、ニューヨークとボストンからのは、一緒に月曜日に着きました。荷物のことは大変だったようですね。また、昨日は、ゴードンからの手紙が届きました。
 かってお世話になった方々から、そんなに大歓迎されて、貴方もうれしかったでしょう。
 つくづく私も行きたかったといますよ。せめてボストンまで。マグノリアグロスターまで行けて良かったですね。写真はとってくれましたか?ゴードンのまわりのようすについて、もっといろいろ聞くのを楽しみにして、帰りを待っていますよ。
 昨夜、テレビでドクトル・ジバコの英語を見ました。確かPeabodyの映画館で見た記憶があります。とにかく、なつかしく思いながら見ました。あの時は英語が半分ぐらいしか分からなかったので、今度はよく映画の状況を判断しながら興味深く見ることができました。

 最後に私のことですが、今週も結構忙しく過ぎてしまいそうです。
来週は、月曜日洋裁と、火曜日午前ホール奥さんと日本語…、水曜日は例のスケジュール、・・・土曜日には、いよいよ子供たちと貴方の迎えに・・・というわけです。・・・

 毎朝、頑張って早起きして、家庭礼拝を守り続けていますよ。そして、3人で貴方のために、木村さんのために祈っています。残されたスケジュールも頑張って下さい。
 あと、手紙は書きません。行き違いになるといけませんからね。
次は、羽田であいましょう。子供たちを連れて、木村さんたちと行きます。
 では、その時までね。祈っています、君代。」