留学中両親からの手紙9通 その1

留学中両親からの手紙9通 その1

★ちいロバ聖書集会の矢倉光子姉が、留学中受け取った両親からのお手紙9通データ化してくれました。

☆1963年 晩秋 母典子からの手紙
「其の後お変わりありませんか。東京も大分寒くなって来ました。私も其の後大変元気でしたが、先日から又熱を出して十日程ぶらぶらしてしまひました。都立広尾病院で先日診察して貰ってレントゲンを撮ったりして頂きましたが、内臓下垂で腎臓其のものの機能はそんなに悪くはないそうです。まーまー無理をしないでと云った処です。

貴方の方もあちこち具合が悪いそうですが、寝不足をしない様にして下さい。薬を小川さんに送って貰いました。どの程度か解かりませんが余り悪くしないでお医者様にも見て貰う様に。遠い所で体が悪くては一番困ると思います。勉強の方はどんなですか。最初は随分骨の折れる事と思います。ジーン先生にもまだお会いする事が出来ませんが、寄居の方にでも落ち着かれてから伺いたいと思って居ります。

家でも皆元気にして居ります。義男も十二月初めから試験だそうです。何とか来年うまく卒業してくれるとよいと思いますが・・・三郎も相変らず勉強の方はそっちのけで何やらこつこつこしらえています。書き取り等大変なお点を取って来るので注意しても一向に平気です。体の方は大分しっかりして来た様で食べるのも好きなものならびっくりする程たべます。恵美子は此の頃幸子さんにピアノを習っています。どの程度になるか解りませんが少しはよいかと思ってやらせて見ました。

食べ物等なれて来ましたか。送れそうなもので食べたいものがあったら云って下さい。寒いそうなので下着を心配して居ます。衣類は間に合いますか。十一月一杯で学校の下宿のお金が切れると思いますが後ほどどんなにしたらよいか知らせて下さい。こちらではよく解りませんが出来るだけの事はしてやりたいと思います故、慣れない内に無理なアルバイトなどせぬ様に計画を立てて知らせて下さい。急に送る等又めんどうですから一度計画を立てて知らせる様に。
学校内も随分広くて景色もよいそうですが学校内にいくつも湖があるなんて一寸想像も出来ませんが校庭の冬景色でも写真に撮って送って下さい。
雪も随分降るのでせうか。まだ着かないか知れませんが長靴送りましたが、あんなので間に合うのでせうか。ではくれぐれも体に気をつけて下さい。
お部屋の人(ルームメイトのリッチ)や佐藤さん(ゴードンに一緒に行ったJCCの1月年下の佐藤兄)によろしく。さようなら
母より」

☆1964年 春 母典子からの手紙
「大変御無沙汰いたしました。四月廿八日退院してから順調に過して来ました。皆に大変心配かけて申訳ありませんでした。手術でもしてさっぱりして退院する積りでしたがやはり手術は駄目でした。帰る時は先生からも義男の式に出るのは無理だろうと云われましたが、なんとか出てやりたいと思って居りました処、割合具合もよかったので、当日出る事が出来ました。お陰様で式も無事に過ぎ旅行から昨日戻りました。当分アパート暮しをする事にしてあります。

君代さんから再三渡米の事に就き話を聞いて居りましたが、そうなれば私としては一番安心なのですが、二人で生活をして勉強をしてとなると中々大変だろうと思います。渡航許可の方は結婚届を出せば割合簡単に出るらしいとの事。又渡航する時の費用は何とか出来るとしても、そちらへ行ってからの生活費がアルバイト位で大丈夫でしょうか。生活の為に勉強がおろそかになる様では何にもなりませんし、其の点を私は一番心配して居ります。
君代さんも今は行く事に一生懸命で向うで働く事等何ともない様ですが、言葉の解らぬ中で働いて行く事はたいていの事ではないと思います。義男達も結婚した今となるとよけい、貴方達の事が気になりますが婚約してあるのですからそちらで結婚出来れば何よりですが、もう一度経済的な事お知らせ下さい。出来るだけの事はする積りですが限度のある事ですから。又仕事等もどんな事か内容が解らないでしょうか。お父さんも心配して居ります。君代さんも今休みの日には外人の家庭に行って居る様ですが、言葉がなれるまでは随分大変でしょう。勉強の方は思いの外好成績の由うれしく思って居りますが、それだけに苦心もしている事でしょう。体だけはどうぞ無理しない様に。

家(深川新大橋の新居)も中々明るく出来ました。初台の家(新居が出来るまでの借家)が何となく穴ぐらの様でしたから気分は至極よいです。私もなるべくのんびり過して貴方達の帰るまでは何としてでも生きていたいと思っています。此の頃杉浦の叔父さん達からも弱い弱いと云って一番長生きするのではないか等とからかわれて居ります。
恵美子、三郎も元気にしています。三郎がフェンシング?部へ入って今さかんに練習中です。では体に気をつけて下さい。
義男の写真が出来たら送ります。当日花嫁さんもきれいでしたが、君代さんも中々きれいになって一目見せたい様でした。体が大きいから其の点はそちらへ行っても引き立つ事と思います。
では又、さようなら。」

☆1964年 春 母典子からの手紙
「いよいよ9月も終ります。元気にお過ごしの様でよろこんでいます。勉強の方も順調に行っている様で結構です。家の方も其の後皆元気で居ります。私も貴方の帰るまではと其の後健康には一生懸命気を付けている為か此の頃大分調子が良い様です。

小川さんも(君代、JCC在学中、授業のない)月曜日には来てくれますので、何とか家事の方もやって居ります。今月10日頃市川の伯母さんが入院、腸の手術をしました。8月頃から調子が悪かったそうですが手術日にもと子から電話がありびっくりしました。早速行きましたが腸を1米位切り取ったさうです。其の後は順調の様ですがまだ退院出来ない様です。それから中村の叔父も盲腸の手術で順天堂に入院しました。江戸崎では心配なので上京したらしいのですが、26日に退院して28日に義男の運転で帰りました。其の時私も思い切って一緒に江戸崎まで行き、一晩泊って昨夜帰りました。新しい事務所、豚舎も出来、自分達の像も出来上がって居りました。田舎で可哀そうだと思って居りましたが、行って見ると所長として何でも自分の思い通りに計画も出来、小さいながらも一国一城の主で案外あんな生活が幸福なのだろうと思いました。叔父ちゃんの性質では下の人や近所の農家の人達にも好かれている様ですし、澄江や子供達も幸せそうでした。写真はフィルムが37枚撮りでまだ残っていたので私達で一枚撮り、今度は現像してあちらから送るそうです。

そちらは大変寒いそうなのでそれが一番に心配になります。衣類等でほしいものがありましたら、早目に言って来る様に。お父さんもお金の方を心配していますがまだ大丈夫ですか。(注)カメラの方は早速ミヤマトラベルの河口さんに電話して見ました。書類は本人が持って居るそうであの時事務長が見当たらず、貴方が大学だから二三年はアメリカに滞在するだろうし長くなれば帰りにそんなにうるさくない様だからつい其のまま帰って来たとの事でした。カメラ屋に其の由電話した処、カメラ屋の方から交渉するとの事なので其の様頼みました。其の後電話がありませんが話がついたものと存じます。明日でももう一度電話します。ジーン先生(ゴードン近くの実家から日本へ向け)も出発された由。早くお目にかかってそちらの話を聞きたいと楽しみにして居ります。
ゴールデー(寄居の宣教師宅で生まれた子犬を、会堂建設の費用のため購入)はやはり駄目でした。残念です。鈴虫は余り鳴きが悪いのでよくしらべたところ、生き残った五匹の内四匹がめすであすは一匹だけでしたから、余りなかない筈です。来年もふやしたいと思って居ります。
三郎も大分元気ですが余り勉強はしません。
では又便りします。さようなら。体を大事にして下さい」。

(注)1963年夏留学時、外貨持ち出しが500ドル制約。父が何方かの助言で、キャノンの高級カメラを持参、緊急の場合売却する方法をとってくれたのです。そのカメラを、本を購入したいため売却したため。