−聖書 沖縄 人間・私−そして最後の歩みに備えて その1

−聖書 沖縄 人間・私−そして最後の歩みに備えて その1
★高校生時代、秋本幸二少年(現日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド牧師の宇都宮栄光
キリスト教会牧師)から手渡された一冊の新約聖書を通して、キリスト信仰に導かれました。1955年3月22日、東京都江戸川区小岩でのささやかな恵みの出来事であり、
敬愛する佐藤全弘先生が「聖書のみにすがって生きる」と言って下さった生活・生涯
の初めの一歩でした。
  
1986年4月1日、家族で沖縄へ移住、数年間無牧が続いた首里福音教会の牧師となり、続く25年間沖縄の生活。
その動機は、成り行き(生涯の友・吉枝たかくに君によれば、それが摂理)。神学教育に専念すべく3年間準備し後ろの橋をすべて切り捨てたところで、思わぬ事態のため前に進めず、一瞬他に行く所がなかったのです。

2011年5月24日、沖縄を離れ関東に戻った際も、同様でした。
2006年3月、思いもよらぬ事態で首里福音教会を離れ、2009年12月脳梗塞の発症も一つの切っ掛けとして、終の棲家と自他共に感じていた沖縄を去り、去ることにより絆がさらに強固にされたのです。
また戻った関東で、2014年4月からクリスチャントゥデイの働きに直接参与することが許され、沖縄での歩みに立ち新しい歩みを続けることが出来たのです。

その中で、今回、私が属すただ一つの学会・日本福音主義神学会を退き、残された生涯、聖書的エキュメニズムにより集中する道を選びました。
以前に書いた文章を再読、日本福音主義神学会の一員として受けた恵みを再確認し、今後のの営みに備えたいのです。

「この40年、−日本福音主義神学会の一員として−」
(『福音主義神学』40周年記念号寄稿)
 
[1]序
 1970年からの40年の歩みは、まさに神の恵み。「神の恵みによって、私は今の私になりました。」(Ⅰコリント15章10節)との信仰告白に声と心を合わせます。日本福音主義神学会の一員として、「この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた」(ヨハネ1章16節)のです。ですから、「わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103篇2節)の呼びかけに応答して小さな神の恵みの神学の序曲を奏で、小文を紡ぎたいのです。
 
(1)設立総会出席
1970年、東京の練馬バプテスト教会で開かれた日本福音主義神学会の設立式に、一番若い世代の一人として、恩師渡邉公平先生と連れ立って参加しました。あの時の出席者で、現役の会員は、今や幾人おられるでしょうか。
年月の流れの中ですべてを忘れ去る可能性が高い私たちの状況の中で、今回の記念号を企画実行なさる、本誌の編集担当の方々に敬意を払います。
 
(2)1986年4月東京から沖縄、東部部会から西部部会へ
 日本福音主義神学会の一員としての歩みは、大きく二分できます。
1986年4月東京から沖縄への移住を境に、それ以前・ビフォ−とそれ以後・アフタ−です。
生まれ育った東京から沖縄への移住後25年、西部部会の「主のしもべ仲間」(黙示録22章7,8節)と主にある交わりを深める楽しい恵みの経験を重ねて来ました、感謝。